1月期はTBS「Get Ready」、テレ朝「星降る夜に」…医療ドラマが永遠になくならない理由

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医療ドラマが多い本当の理由

 どうして医療ドラマは多いのか? その答えを元TBS常務の故・鴨下信一さんに教わったことがある。「岸辺のアルバム」(1977年)などを手掛けた名演出家だ。分からないことを尋ねると、いかなることも教えてくれた。

 医療ドラマについては次の答えを示してくれた。

「医療ドラマは何だって出来ちゃう便利なジャンルなんだ。例えば父親か母親を患者にすれば、家族問題をテーマに出来る。10代を患者にすれば、青春ドラマ風にすることも可能。患者を貧しい人にしたら、貧困問題も描ける。ほかにも患者の立場を変えることで、いくらでも応用が可能。そのうえ医療スタッフ側に視点を合わせた物語もつくれる」(鴨下さん)

 確かにそう。例えば「祈りのカルテ」の第4話は原因不明の手足のシビれや四肢の脱力を訴えるOL工藤香織(堀田真由[24])が患者として登場したものの、厚く描かれたのは病気と治療ではなく、娘の働き過ぎを心配する母・佳代(加藤貴子[52])との母娘愛だった。

「ザ・トラベルナース」の第5話では看護師・金谷吉子(安達祐実[41])の離婚した夫で人気講談師の五反田宝山(松尾諭[47])が直腸ガンになった。五反田は自暴自棄になり、治療を拒否するが、吉子が厳しく叱り、手術を受けさせた。

 感動した五反田は吉子に復縁を求めたものの、答えは「NO」。医療ドラマは別れた夫婦の関係性も浮き彫りに出来る。

 また病院は診療科目が多いから、その点でも物語の幅が広げられる。「PICU」は小児専門の集中治療室を舞台にすることで、子供たちの心象風景にもスポットを当てる物語に出来た。

 便利な医療ドラマの歴史は古い。まだテレビ黎明期で各局の制作能力が低かったころ、TBSが米国ABCの「ベン・ケーシー」を1962年から流したのが原点だ。

 主人公は若き脳外科医のベン・ケーシー(故ヴィンセント・エドワーズ)。彼が医療現場でさまざまな出来事を経験したり、いろいろな患者と交流したりすることで、成長してゆく物語だった。

 今の研修医モノの医療ドラマと基本構造は同じ。この作品は爆発的人気となり、最高世帯視聴率は50.6%を記録した。

 和製医療ドラマでも名作や人気作が次々と生まれた。故・田宮二郎さんが主演した1978年版のフジ「白い巨塔」は、徹底的に取材した上で執筆する故・山崎豊子さんの同名小説が原作で、大学病院内の権力争いや医療ミス問題などが赤裸々に描かれた。現実の医師の間でも対立が生じやすいから、医療ドラマは人間の持つ闘争本能も映しだしやすい。

 その後、医療ドラマはどんどん領域を広げていった。1つは法医学モノである。故・菅原文太さんらが出演した2時間ドラマ「法医学教室の午後」が日テレで放送されたのは1985年。それが深津絵里(49)主演のフジ「きらきらひかる」(1998年)、石原さとみ(35)主演のTBS「アンナチュラル」(2018年)へと進化していった。法医学モノは医療に事件も絡むから、制作者にも視聴者にも魅力なのだろう。

 米国NBCが制作した「ER緊急救命室」(1994年)が大ヒットすると、日本でもフジ「救命病棟24時」(1999年)がつくられた。主演は江口洋介(54)。やはり大ヒットした。

 ほかにも外科医モノ、地方医モノ、産婦人科医モノ、夜間診療モノ、闇医者モノ、臨床検査技師モノなど医療ドラマの領域は広い。まだ広がるに違いない。医療ドラマが途絶える日は来ないと断言できる。

 海外でも古くからつくられ続け、ずっと人気なのだ。米国では災害に襲われた大病院の人間模様を描いた「メモリアル病院の5日間」(Apple TV)や外科医親子の関係をテーマにした「グッド・サム 外科医親子のパワーゲーム」(CBS)などがウケている。

 国を問わず、医療ドラマが便利なのは一緒。また、病院に行ったことのない人はいないので、医療ドラマは誰にとっても身近なのである。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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