48万部『応仁の乱』著者が「鎌倉殿の13人」クライマックスの楽しみ方を解説 北条政子の政治センス、義時の“気弱エピソード”

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 最終回が近づいてきたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。そのクライマックスは朝廷と武家政権の一騎打ちとなった「承久の乱」である。放送前に知っておきたい目からうろこの“見どころ”を、日本中世史のベストセラーもある歴史学者の呉座勇一氏が教えてくれた。

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 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が、いよいよクライマックスを迎えようとしている。小栗旬さんが演じる主人公・北条義時の腹黒い「ダークヒーロー」ぶりに目が離せなくなっている視聴者も多いだろう。

 歴史学者である筆者もその一人だ。もちろんドラマは実際の歴史とは異なる「歴史ファンタジー」である。しかし、脚本家は史実を素材にして、それに脚色を加えてスリリングな物語を作る。したがって、筆者からすれば、「あの史料にある断片的な記述を、こんな面白いエピソードに料理できるのか」という感興が加わり、ますますドラマを楽しめるというわけである。

 そこで、このたび「鎌倉殿の13人」に登場する北条一族をはじめ、来年の大河ドラマ「どうする家康」に登場するであろう戦国武将ら33人の素顔を、歴史学の知見を踏まえてわかりやすく紹介する『武士とは何か』(新潮選書)という新著を上梓した。

 同書では、これから大河ドラマのクライマックスで描かれる「承久の乱」についても書いている。ここでは、ドラマをより深く楽しむための、筆者なりの“見どころ”をいくつか紹介してみたい。

後鳥羽上皇はなぜ挙兵を決断した?

「承久の乱」は、鎌倉幕府に不満を持った後鳥羽上皇が、承久3(1221)年に挙兵したことで始まった。後鳥羽上皇は西面の武士を組織するなど朝廷独自の軍事力を強化していたが、幕府の軍事力には全く及ばないものだった。にもかかわらず、後鳥羽上皇が挙兵を決断したのはなぜか。上皇にはどのような勝算があったのだろうか。

 実は後鳥羽上皇は「倒幕(幕府打倒)」を宣言してはいない。後鳥羽は、全国の守護・地頭に対して、鎌倉幕府執権である北条義時の追討を命じている。討伐対象を義時に絞ることで、朝敵となることを恐れた多くの御家人が、北条氏を裏切る事態を期待していた。この2年前に、鎌倉幕府では3代将軍で鎌倉殿の源実朝が暗殺され、犯人の公暁(こうぎょう)(実朝の甥)も殺されていた。頼朝直系の男子は鎌倉からいなくなってしまったのである。

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