ドイツ撃破「権田」「三笘」「板倉」「田中碧」は同じ“街クラブ”出身 「恩師」が語る“活躍は必然”の無双エピソード

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 11月23日に行われたFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会初戦で、過去4度の優勝を誇る強豪ドイツ代表を2-1でくだしたサッカー日本代表。世界を驚かせた「世紀の大金星」をひときわ感慨深く観戦した人物がいる。ドイツ戦のピッチに立った“サムライブルー”のうち、実に4人が巣立った「さぎぬまサッカークラブ(SC)」の澤田秀治代表(64)だ。

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 澤田氏が歓喜の余韻も冷めぬ様子でこう話す。

「街クラブから代表がひとり選ばれるだけでも凄いことなのに、今回は4人も選出された。さらにドイツ戦ではその4人が同じピッチに立ったのですから、夢のような光景を目の当たりにして“感無量”の言葉しかありません」

 1979年設立のさぎぬまSCは神奈川県川崎市宮前区にある小学生を対象とした“街のサッカークラブ”だ。同クラブに所属していたのがGK権田修一(33)、DF板倉滉(25)、MF三笘薫(25)、MF田中碧(24)の4選手。

 なかでもスーパーセーブを連発してドイツ代表の猛攻を凌いだ権田は唯一「6年間在籍」した17期生に当たる。

「小学生時代からチームメイトがミスしても“ドンマイ、元気出していこう!”と率先して声を出し、常に周囲を励まして勇気づけていた。ドイツ戦でPKを与えて失点に繋がった場面について、誰も権田選手のファウルと思っていないでしょうが、責任感の強い彼が何も思わなかったわけはない。その後に圧巻のセーブを見せ、みずからの行動で周囲を鼓舞した姿は当時と重なるものがありました」(澤田氏)

 小学生時代と“根っこ”の本質部分は変わらないと映るのは、他の3人も同じという。

「もっと点を取りたい!」

 権田以外の3選手は小学2年生までの在籍だったが、それでも皆、強く記憶に残っているという。

「25期生の板倉選手は、当時は前へガンガンと行くタイプでした。2年生の夏合宿で上級生に混じって自分で2得点を決め、試合後に6年生から“お前、スゲエな”と褒められたことがあった。それが嬉しくて励みになったようで、その年の文集に“もっと練習していっぱい点が取りたい”と綴るほど、レベルアップを目指す向上心は旺盛でした」(澤田氏)

 三笘(26期生)の場合、当時からドリブルや柔らかなボールタッチには目を見張るものがあったという。

「スピードに乗ったドリブルで得点を量産していましたが、私が驚いたのは足元の細かな技術よりも、試合を冷静に俯瞰していたクレバーさです。自分より他の味方選手のほうが点を取る確率が高いと判断すると、その味方選手の3~5メートル後方の位置に下がり、セカンドチャンスを窺うようなポジショニングを取っていた。また相手が攻めに入ろうとする時にはすぐに守備に回るなど、攻守の切り替えも早かった」(澤田氏)

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