村田兆治さん宅の焼け焦げたバーベルが物語るもの “事件”の後はひとり家にこもりがちに

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事件後は自宅から出ることも少なくなり…

「あれほど健康に気を配っていた村田さんなら、長生きに違いない、と思っていました。それがあんな亡くなり方をするとは。未だに信じられません」(先の記者)

 9月下旬に空港での「暴行事件」が大きく報じられた。釈放後、「デイリー新潮」が取材した折には、沈痛な面持ちでこう語っていた。

「あの行為が暴行になるとは思いもしませんでした。彼女(女性検査員)には本当に頭を下げて謝りたい」

「急いでいたので“ちょっとどいて”と女性の肩を右手で押して通ろうとしたのですが、結果的に押しのける形になってしまった。女性には逮捕される際、“申し訳ない”と謝ったけど、小さな声だったから聞こえなかったかもしれない。(彼女には)本当に頭を下げて謝りたい」

 生真面目さゆえに、気分の落ち込みも大きかったようで、事件後は自宅から出ることも少なくなっていたという。

人生先発完投

 火災にあった自宅の窓辺には焼け焦げたバーベルが……。

 生涯、「投手」であり続けるために、生活の場に常にトレーニングがあったことがうかがえる。それは元エースのプライドうんぬんではなく、野球界のためだった。

 先の健康法を語ったインタビューでは、こうも語っている。

「引退して二十余年、離島の子供たちに野球を教える活動を続けているが、子供たちに教えるにはうんちくじゃダメ。実際に見せてやらなければ、感動させることはできない」

「私がプロ野球選手になりたいと思ったのだって、小学校5年の時、広島市民球場に父と一緒に行って、プロのすごさを目の当たりにしたからだ。だから今も子供たちに見せつけてやらねばならない」

 このインタビューは、村田さんのこんな言葉で締められている。

「今年春の甲子園に初出場を決めた佐渡高校(新潟県)の選手の中には、小中学校時代に私が教えた生徒もいるのだ!」

「人生先発完投、私だって彼らに負けていられない」

 あまりにも悲しく唐突な死に、今も静かな衝撃が広がっている。

撮影・伊藤 諭、本田武士、田中和義、西村 純

週刊新潮 2022年11月24日号掲載

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