星野巨人、西本阪神…実現すれば黄金時代が到来した? 幻に終わった監督列伝

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“幻の外国人監督”

 2017年、アレックス・ラミレス監督の下、下剋上を成し遂げ、シーズン3位から日本シリーズに進出したDeNAだが、実は、それより40年以上前の大洋時代に、球団初の外国人監督が実現していた可能性があった。

 “幻の外国人監督”の名は、クリート・ボイヤー氏。メジャー通算1396安打を記録するとともに、69年にゴールデングラブ賞を受賞するなど、守備の名手でもあった。

 72年に35歳で大洋に入団し、73、74年と2年連続でダイヤモンドグラブ賞に輝き、現役引退後の76年も大洋にヘッドコーチ格として残った。

 大洋・横浜時代にスカウトとして多くの“優良助っ人”を入団させた牛込惟浩氏の著書「サムライ野球と助っ人たちー横浜球団スカウトの奮闘記」(三省堂)によれば、73年から兼任コーチを務めたボイヤー氏は、2軍時代の田代富雄にトレード話が持ち上がると、「将来の主軸打者になれる男だ」と反対し、逆に1軍昇格を提案したという。

 さらに、一度は戦力外が決まりかけたテスト入団の高木由一を「伸びる男だ」とチームに残し、捕球してから握り直すまでに時間がかかっていた山下大輔にアドバイスして、球界を代表する遊撃手に成長させている。

 そして、専任コーチ時代の76年には、同年限りで解任が決まっていた秋山登監督に代わって、夏から9月まで実質的な監督として采配を振るった。

 手腕を評価した阪神が2軍監督に迎えようとしたが、「将来は大リーグの監督になりたいと考えている」と断ったという話も伝わっている。

 当然、大洋の次期監督候補にも名前が挙がったが、コーチの人選などで球団側と折り合いがつかず、話が流れてしまったという。

 もし、ボイヤー監督が実現していれば、その指導力の高さから、チームは“万年Bクラス”に低迷することなく、38年ぶり日本一を達成した98年以前に優勝していたかもしれない。

 帰国後のボイヤー氏は、アスレチックス、ヤンキースなどのコーチを歴任し、ヤンキース時代にはデレク・ジーターを育てている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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