星野巨人、西本阪神…実現すれば黄金時代が到来した? 幻に終わった監督列伝

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社長自らが交渉

 生え抜き監督が伝統の巨人に対し、阪神は外部からの監督招聘にも積極的で、1990年代以降では、野村克也、星野仙一の両氏が招かれている。真弓明信、金本知憲の両氏と矢野耀大前監督も阪神で現役生活を終えているが、いずれも他球団からの移籍組である。

 そんな阪神が、前近鉄監督の西本幸雄氏を迎えようとしたのが、1984年オフだった。

 一度は留任を発表された安藤統夫監督が、総監督に西本氏を迎えるべく、球団が交渉していることを知り、電撃辞任したことから、西本氏が次期監督候補に浮上したといわれる。

 だが、64歳の西本氏は「もう闘争心も反骨心も薄れている」と名門チームの監督就任に消極的だった。

 今年4月16日付の日刊スポーツの連載企画「監督」(吉田義男氏編5)によれば、10月14日に久万俊二郎阪神電鉄社長自ら出馬して初交渉を行い、同16日にもマスコミに気づかれないよう朝駆けで宝塚市の自宅を訪問すると、西本氏は首を縦に振ることはなかったが、初交渉のときより、少し気持ちが軟化したようにも見えたという。

 パ・リーグひと筋だった西本氏は、最後にセ・リーグのチームの監督をやってみたい気持ちもあったといわれる。ところが、その夜、今度は小津正次郎球団社長ら球団幹部が報道陣を引き連れて西本氏の自宅を訪問したことから、話がおかしくなった。

 親会社と球団の足並みが揃っていないことに不信感を抱いたのか、西本氏は4日後、正式に断りを入れてきた。

 その後、吉田義男監督が2度目の指揮をとることになり、翌85年は2リーグ制以降、初の日本一を達成したが、1シーズンだけの輝きに終わった。

 もし、阪神・西本監督が実現していたら、“情熱の人”は、かつての阪急、近鉄時代同様、丹精込めて強いチームをつくり上げ、80年代後半以降のトラの長期低迷もなかったかもしれない。

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