机の前に貼られた1枚の紙に“3つの言葉”…87歳「倉本聰」が今も毎日書き続ける理由

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知識ではなく知恵で生きる

 倉本にとって大きな転機となったのは、1970年代半ばに北海道の富良野へと移住したことだろう。それがなければ、あの『北の国から』が生まれることもなかったはずだ。富良野に来てみて、倉本は何を思い、何を感じたのか。

「都会の生活って全部、何かの代替エネルギーで暮らしてるよね。でも、ここでは自分のエネルギーで暮らすしかない。しかも、知識なんて全然役に立たないことを思い知った。知恵で生きないとダメだって。

 住み始めた当時、家の前の道に大きな岩が埋まっていたんです。何とかしたいんだけど、自分の力じゃ無理。近所の農家の青年に、『あの岩を動かしたいんだけど、あなただったらどうする』って聞いてみた。

 そしたら、『やらねばならんならやるよ』って言うんだ。まず剣先のスコップを持ってきて、岩の周りを掘る。次に丸太をテコにして、じわじわと四方から浮かしていく。丹念にそれをやったら、1日に3センチぐらい動く。30日もやったら1メートルは動く。当たり前のように、そう言われた。

 これには参ったね。僕らの感覚では1日に3センチは動かないのと同じだけど、1日3センチとはいえ、確かに動くんだ(笑)。文明社会の中では、時間が金銭として換算されちゃってるよね。そういう考え方は、もうやめようと思った」

 知識ではなく知恵で生きる。また時間を味方につけることで、大きな仕事も達成できる。倉本は、たとえ書けない日があっても、毎日、原稿用紙に向かうことで、『やすらぎの刻~道』のような1年間におよぶ長編ドラマを書き上げてきたのだ。

創作の原点

 それにしても、倉本の創造力は枯れることがないのだろうか。新著『脚本力』には、この本のために書き下ろした新作シナリオ『火曜日のオペラ』第1話が掲載されている。いや、それだけではない。「企画書」や全7話の「シノプシス(粗筋)」なども公開している。

 人類の食糧危機を救う発明をめぐる世界的スケールの話であると同時に、中年世代の過去と現在が交錯する人間ドラマだ。現在もこうして生き生きとした物語を構築する倉本。その創作の原点はどこにあるのか。

「実は想像癖っていうのがガキのときからあって、常に想像を巡らせている。戦時中の空襲のとき、防空壕でさ、怖いわけよ。そこらに爆弾が落ちてくるわけだから。

 そのとき親父だったか、おふくろだったか、『空襲の怖い音なんか聞かないで別のこと考えなさい』って言ったんだよね。あれが元なのかもしれない。息子を楽にしてあげたいと思ったんだろうな、きっと。

 学童疎開のときも先生に言われた気がする。『腹が減ったとか、田舎の子たちが意地悪だとかじゃなくて、他のことを考えろ』って。たとえば、海で泳いでるときの楽しさ。『お前は昨日まで15メートルしか泳げなかったんだけど、今日はほら、20メートルも泳げた。もうちょっと頑張ると25メートルだ』って。

 そんなふうに集中してると、すっと想像が湧いてくる。あっちの世界に入っていける。この想像によって別の世界に入っていくってことが、僕の創作の原点なんじゃないだろうか」

 倉本の書斎。愛用の机の前には、1枚の紙が貼ってあるそうだ。そこには3つの言葉が書いてある。「人間を。やんちゃに。ボルテージ!」だ。

「いつ書いたのかも忘れたんだけど、手を休めた時、ふっと目に入ってくる。多分、『人間を書け、やんちゃに書け、高いボルテージで!』と自分に向かって言ってるんでしょう。そうありたいと思ってますしね。

 あと、もう一つ。自分がずっと信条としていることがあります。それはね、作品には詩がなくてはならないということ。作品の中に、詩と呼べるものが込められているうちは、書き続けるはずです」

 脚本家・倉本聰、87歳。書き続けること、創り続けることに、まだまだ終わりはなさそうだ。

碓井広義(うすい・ひろよし)
メディア文化評論家。1955年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。テレビマンユニオン・プロデューサー、上智大学文学部新聞学科教授などを経て現職。新聞等でドラマ批評を連載中。著書に倉本聰との共著『脚本力』(幻冬舎新書)、編著『少しぐらいの噓は大目に――向田邦子の言葉』(新潮文庫)など。

デイリー新潮編集部

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