机の前に貼られた1枚の紙に“3つの言葉”…87歳「倉本聰」が今も毎日書き続ける理由

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 倉本聰(87)は『前略おふくろ様』(日本テレビ)や『北の国から』(フジテレビ)など、人々の心に残るたくさんの名作を生み出してきた脚本家だ。80歳を過ぎて『やすらぎの郷』(テレビ朝日)や『やすらぎの刻~道』(同前)を手掛けただけでなく、現在も毎日、原稿用紙に向かっている。なぜ書き続けるのか、メディア文化評論家の碓井広義氏がその謎に迫る。

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 なぜ60年以上も書き続けられるのか。それが知りたくて、半年間にわたって複数回の対話を行ってきた。その内容を一冊にしたのが、この秋に上梓した『脚本力(きゃくほんりき)』(幻冬舎新書)である。倉本の経験・知識・知恵、さらに思想や哲学や精神の総体を「脚本力」と名付け、シナリオを梃子(てこ)にしてその一端に触れようとする試みだ。

 ここでは対話の過程で印象に残った倉本の言葉を紹介しながら、あらためて「なぜ書き続けるのか」を探ってみたい。

創るということ

 倉本の主戦場はテレビドラマであり、書く仕事の中心はシナリオだ。しかし、他に何本もの戯曲があり、膨大な量のエッセイも書いてきた。近著『破れ星、流れた』(幻冬舎)は、自らの生い立ちから脚本家になるまでを綴った自伝的エッセイだ。また現在は、その続編をスポーツ新聞に連載している。このエネルギーは一体どこから来ているのか。

「書くというより、創るということをしてるんだろうね。『創作』という言葉があるじゃないですか。創と作、どちらも〈つくる〉でしょ? でも、意味が違うんですよ。〈作〉の〈つくる〉ってのは、知識と金を使って前例に倣って行うことです。

 それに対して〈創〉のほうの〈つくる〉は、前例にないものを知識じゃなくて知恵によって生み出すことを指す。この〈創〉の仕事をしてると楽しいわけですよ。

 創るということは生きることだけど、遊んでいないと創れない。同時に、創るということは狂うことだと思う。〈創るということは遊ぶということ。創るということは狂うということ。そして、創るということは生きるということ〉。これが僕の3大哲学です。僕の言う〈遊ぶ〉ってのは、楽しむことだよね。自分が楽しむ。それから〈狂う〉ってのは、熱中するってことでしょうね」

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