「勝つよりも楽しみたい」 バドミントン連続優勝・山口茜の強さに迫る(小林信也)

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 山口茜(25)は、この夏日本で開催された世界バドミントン選手権とダイハツ・ヨネックスジャパンオープンの女子シングルスで2週続けて優勝。「世界の女王」と呼ばれる存在だ。

 連続優勝の直後、幸運にも取材の機会を得た。私がぜひ聞きたかったのは、その「強さの秘密」ではなく、山口のあまり勝ちたそうに見えない、「いい具合に力の抜けた雰囲気」についてだ。

 山口が全国的な注目を浴びたのは、16歳(高1)でヨネックスオープンジャパンを日本人初制覇、世界ジュニア選手権でも優勝したころだ。当時から特別な魅力を放っていた。「絶対勝ちます!」みたいな選手が多い中、山口は力みがなかった。それでいて試合が始まればひょうひょうと得点を重ねる。あまり慌てない。相手のショットがわかっているかのように楽々と反応する。

地元の高校を選択

「自分では覚えていないんですけど、3歳くらいから遊び始めたと聞いています」

 人ごとのように山口は言った。2人の兄が、生まれ育った福井県勝山市の体育館でバドミントンを始めた。3歳の山口が一人で留守番するわけにもいかず、一緒に連れて行かれた。そこで自然とラケットを握って遊び始めた。勝山市は1968年福井国体のバドミントン会場になってから普及が進み、80年代には長谷川博幸が全日本男子シングルスで3度優勝した。その長谷川がしばしば帰郷し、母校・勝山高の後輩を指導して強化の基盤ができた。

「小学生が入るスポーツ少年団の練習に参加したのが5歳くらい。自分ではよく覚えていません。遊びの延長線上でした。バドミントンはずっと面白かった。最初は打てるようになってうれしくて。だんだん長く続くようになって楽しかった」

 自然の流れで試合にも出た。当然、強かった?

「たぶん、そうだと思います。そのころは身長が高く、体格がよかったのでパワーがありました。でも上級生や大人のコーチと普段からやらせてもらっていたので、自分がいつも勝つイメージはありませんでした」

 中学を卒業する時、山口は他県の強豪校ではなく、地元の勝山高を選んだ。

「進路に関しては悩んでいません。勝山の環境でもっと強くなれると思いました。まだコーチたちに勝てなかった。高校を卒業するまでに全員に勝ちたかった。結局1回は勝ったと思います。中にはやってくれなくなるコーチもいました(笑)」

 ストロークやフットワークなどの基本練習は幼いころから繰り返し徹底された。それ以上に山口を育てたのは大人たちとの実戦だった。

「みんな癖だらけ。プレースタイルも全然違う。打ち方も個性的。そういう大人のまねをしたり学んだり、それが力になりました」

 今回の2大会でも、山口が体の向きと違う方向に繰り出すショットが話題になった。それは癖のあるオヤジたちとの打ち合いで身に付けた筋金入りの技術だった。

 それにしても、山口の試合の読みは圧倒的だ。聞けば「自分が特別すごいとは思わない」と言うが、「しばしば意表を衝かれる、読めない相手は世界にいるか」と聞けば「いないかもしれない」と答えが返ってくる。

「スピードやパワーの勝負だけなら自分は勝てません。発想力というか、体が小さくても勝てるのがバドミントンの面白さです」

 そして教えてくれた。

「バドミントンの基本は角の4点と中間の2点を合わせた6点です。相手がそのどこに打てるか。意表を衝かれるのはそこの意識が抜けていた時です。逆に攻撃の時は相手の意識が抜けている場所を探しながら打っていく。今回は体のコンディションがよかったから、思考的な部分により多くのエネルギーを割けました」

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