渡部建は「白黒アンジャッシュ」以外いまだ出演ナシ 復活のカギは“スネ夫要素”

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

キャラはこう刷新すべし

 では、どうすればいいのか。本来の渡部は、人としての邪悪さを秘めた食えない男なのではないかと思う。ドラえもんの登場人物でたとえるなら、彼は「出来杉」ではなく「スネ夫」だったのではないか。

 おぎやはぎ、カンニング竹山、有吉弘行など、彼と親しい芸人たちは口を揃えて、渡部にはそういう人としての嫌な部分、すなわち「スネ夫要素」があることを面白おかしく語っている。東野との対談でもそれは指摘されていたことだ。

 今後は、本来の自分そのものとまでは行かなくとも、もう少しだけそちらに寄せた形でキャラを刷新するのが望ましいのではないか。今までは、バラエティ番組で親しい芸人がそれをイジって、本人が言い返すという流れもあったが、今後は本人の側から積極的にそれを出していってほしい。そんな渡部ならぜひ見てみたい。

 もちろん、これは彼一人の力で達成できることではない。今後の仕事の中で、周囲のスタッフや共演する芸人たちが彼をどう扱うかということにもかかっている。本人、共演者、スタッフ、そして視聴者。人々が空気を読み合い、探り合いながら、少しずつまとまった形になって固まっていく。それがタレントの背負うキャラというものだ。

 アップデートされた渡部のキャラがどんなものであれ、それが面白ければそれでいい。一視聴者としては、渡部がこれからどんな面白いことをやってくれるのかを楽しみにしている。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。