天龍と円楽――病魔と闘う同級生の二人を捉えた歴史的な一枚

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 今年1月に脳梗塞を発症、8月に高座復帰したものの、軽度の肺炎から大事をとって入院中の落語家・6代目三遊亭円楽(72)。そして、長年の現役生活で負った体へのダメージから、広範囲にわたる頸髄(けいずい)損傷のため入院した“ミスタープロレス”天龍源一郎(72)。

 実はこの二人、中学が同窓である。福井県出身の天龍は、大相撲への入門をきっかけに中学2年生の時に墨田区立両国中学に転校し、円楽と同級生になった。卒業後、天龍は力士として活躍し、プロレスラーに転向。円楽は青山学院大学在学中に先代円楽に入門して、落語家になった。

「この頃の後楽園大会には必ず、円楽(編集部注・当時は楽太郎)師匠が姿を見せていました。年間チケットを買って、最前列の席で応援していた姿をよく覚えています」

 夕刊紙「内外タイムス」元写真部長で、50年にわたりプロレスを撮り続けてきた山内猛氏がそう語るのは、山内氏が上梓した『プロレスラー―至近距離で撮り続けた50年―』(新潮社)の中にある一枚。昭和60年11月2日、東京・後楽園ホールの控え室前でのものである。この頃、天龍はジャンボ鶴田との「鶴龍コンビ」で数々の名勝負をこなしており、一方の円楽も、この4年前に真打昇進。共に押しも押されもせぬ人気者になっていた。

「試合前のわずかな時間ですが、楽しそうに話していたのを覚えています。お二人とも多忙だったから、こうした場所でないと会えなかったのでしょう」

 数々のプロレスの名場面を収めてきたその手腕から「リングサイドの必“撮”仕事人」の異名を持つ山内氏だが、撮影現場はリングの上だけではない。前掲書からもう一枚、貴重な写真を紹介してもらおう。

 平成元年5月24日、秋田県立体育館。中央に横たわるのは天龍である。首への攻撃を集中して受けると首が「詰まった」状態になり、試合後に若手選手にタオルで引っ張ってもらっているところだという。

「天龍さんは常に全力ファイト。地方会場でも決して手を抜かず、20分を超える試合を連日のようにこなしていました。ただ、レスラーが最も鍛えにくいのが首。それゆえ、その負担は相当なもので、試合後に若手にケアしてもらってから記者の取材に応じるのが定番でした。アントニオ猪木さんもそうですが、過酷なファイトの代償は後々まで響くことになるのでしょう」

 天龍と同じ全日本プロレスで活躍した大仁田厚(64)がTwitterで「俺が入門した時もそうだが全日本は受け身を徹底的に鍛える 相手の技を受けてなんぼ そう教えられてきた」とつづり、「天龍さんのご無事を祈ります」と続けたが、山内氏もこう語る。

「昭和、平成、そして令和とプロレス界と落語界のスーパースターであるお二人だけに、病を克服して元気な姿をファンの前に見せてくれることを願っています」

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