「高橋治之元理事」逮捕で思い出す「シュランツ事件」 50年前の「札幌五輪」が商業化の“転換点”だった

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 8月17日、「電通スポーツ村のドン」と言われた東京五輪・パラリンピック組織委員会の高橋治之元理事(78)が、収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された。贈賄側の大会スポンサーで紳士服大手のAOKIホールディングスは、高橋容疑者が代表を務める会社に計5100万円もの“コンサルタント料”を支払い、日本選手団が開会式などで着用する公式ウエアの採用やライセンスグッズの販売期間延長など、様々な要求を行っていたとみられている。事件の詳細が明らかになる中、現在のように「五輪とカネ」「商業五輪」の側面が色濃くなる前の札幌冬季五輪で起きた、「シュランツ事件」を思い出さずにはいられない。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

金メダル候補が突然、参加資格を剥奪

 今から50年前、1972(昭和47)年2月に開催された札幌五輪。

 スキージャンプ70メートル級で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」はもちろん、男子スピードスケートでは三冠に輝いたアルト・シェンク(オランダ)や、全盛期を過ぎたとはいえ500メートルの元世界記録保持者だった鈴木恵一、アイスホッケーではカナダから日本代表の助っ人に来た日系二世の若林修の奮戦などに熱狂した。女子フィギュアスケートでは転倒しても笑顔で満点を取った「銀盤の妖精」、銅メダリストのジャネット・リン(米国)が超人気だったが、小生は密かにジュリー・ホームズという米国選手を応援していた。前年の「プレ五輪」で見た美しさに憧れ、彼女の写真が大きく掲載された雑誌「アサヒグラフ」を買ったほどだ。五輪本番では最後にメダルを逃し、残念だった。

 トワ・エ・モワの名曲「虹と雪のバラード」とともに思い出深い札幌五輪について、当時からよく覚えているネガティヴな出来事がある。今や知る人も少なくなった「シュランツ事件」である。

 男子アルペンスキー競技の金メダル候補だったカール・シュランツは、アルペン大国オーストリアの英雄で、世界選手権やワールドカップでもたびたび優勝していた。当時33歳で札幌に乗り込んできた彼の狙いは、五輪三冠王(滑降、回転、大回転)だった。この記録は、1968年のグルノーブル(フランス)五輪でジャン=クロード・キリー(フランス)が、1956年のコルチナ・ダンペッツオ(イタリア)五輪でトニー・ザイラー(オーストリア)が達成。期待は高まった。ところが、仰天する事態が起きる。

 開会式(2月3日)直前の1月31日、札幌で開かれたIOC(国際オリンピック委員会)の総会で、シュランツが参加資格を剥奪されたのである。

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