【櫻井よしこ氏特別寄稿】世界に晒された日本の平和ボケ 改憲に命を懸けた「憂国の宰相」の遺志を継げ

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米国政府は襲撃当日、ホワイトハウスに半旗を掲げた

 このことの深刻な意味を岸田文雄首相は鋭く感じとって対応しなければならない場面だった。たとえば直ちに国家安全保障会議を招集して対策を発表することだ。日本政府が事の重大性を認識して対応策を打ち出す姿を見せる、即ちわが国はいかなる事態にも十分な危機感をもって対処できると、示すことが大事だ。犯人については厳しく追及する。簡単に単独犯と決めつけず、背後関係も含めて全てを洗い出す決意を示すことが抑止力になる。

 だが、岸田政権にはこうした意識が欠けている。それだけではない。日本国首相として、また安倍氏の当選同期生としてこの暗殺事件をどう受けとめたか。首相個人と、日本国政府の心の在り様が伝わらない。岸田氏は日本国の深い怒りと痛恨の思いを明確な形で内外に示すべきだった。

 米国政府は7月8日の襲撃当日、ホワイトハウスに半旗を掲げた。バイデン大統領はさらに指示を出して、8日から10日まで米国中の国旗が半旗になった。警察署、郵便局、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、学校から個人の住宅に至るまで多くの半旗が掲げられたと、SNSで伝えられている。ブリンケン国務長官は直ちに日本を訪れ弔問した。

 英国もフランスもインドも安倍氏の不慮の死を悼んだ。インドは米国同様、3日間半旗を掲げて弔意を表わした。アジアの多くの国々で政府のみならず国民各位が凶弾を憎み安倍氏の死を惜しむ言葉を寄せた。

 わが国では、自民党がいち早く永田町の党本部ビルに半旗を掲げた。では政府はどうしたか。国会議事堂、衆参両院議長公邸においても日曜一杯、通常どおりに高々と日章旗が掲げられていた。政府が半旗を掲げたのはようやく11日の月曜日になってからだった。何と感覚の鈍いことよ。

「日本を取り戻す」と叫んだ安倍元首相

 安倍氏は首相になるとき、「日本を取り戻す」と叫んだ。取り戻そうとしたのは日本の価値観だ。歴史を辿れば日本は雄々しさの中にも穏やかな文化を育んだ立派な国である。幾百世代にもわたって日本列島に住みついた先人たちは、人間を大事にし、思いやりを基調とする社会を築いた。だからこそ、安倍氏は第1次政権でまず、教育基本法の改正に取り組んだ。戦後の日本を歪めた元凶である現行憲法改正のための国民投票法も制定した。日本を守る自衛隊を「庁」に据え置いてはならないとして、防衛庁の「省」昇格を急いだ。戦後の日本社会を決定づけた現行憲法の改正が自分の政治使命だと国民に誓った。

中編に続く)

櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスター等を経て、フリー・ジャーナリストとして活躍。著書に『何があっても大丈夫』『日本の覚悟』『日本の試練』『日本の決断』『日本の敵』『日本の未来』『一刀両断』『問答無用』『言語道断』(新潮社)『論戦』シリーズ(ダイヤモンド社)『親中派の嘘』『赤い日本』(産経新聞出版)などがある。

週刊新潮 2022年7月21日号掲載

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