「おかわり君」温室育ちの“新三振王” 空振り御免の野球人生を貫き通せた理由

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 西武の中村剛也(38)が清原和博氏を超え、通算1956三振のプロ野球新記録を樹立した。本塁打か三振かを地で行く、希代の「アーチスト」。その野球人生を紐解くと、豪快な打撃とは対照的な一面が見えてきた。

 7月6日のオリックス戦、3‐2で迎えた七回二死二、三塁で、中村は黒木優太のフォークボールに空振り三振を喫した。前日の5日に清原氏の最多記録1955三振に並び、1日で追い抜いた。

「中村らしい空振りだった。落ちる球でも当てにいこうとするのではなく、振り切っていた。投手が少しでも制球を間違えれば3ランホームランだったかもしれない。この年齢になっても全盛期のスタイルと変わらない。ホームランのためにはどれだけ三振しても許されるのは特別な打者であることを証明している」(遊軍記者)

 中村は2001年、大阪桐蔭高から西武にドラフト2巡目で入団した。05年、初開催されたセ・パ交流戦で12本塁打を放ち、「おかわり君」として一躍ブレークした。同年は22本塁打を放ったものの、打率2割6分2厘と確実性には課題を残した。以降、これがネックとなり、西武の黄金期の正捕手で、そのDNAを引き継いだ伊東勤監督時代(04~07年)には絶対的なレギュラーに定着できずにいた。

「ナベQ政権」と「デーブ」の教え

 アーチスト覚醒の時は08年、渡辺久信監督(現ゼネラルマネジャー)の就任1年目に訪れる。監督が招聘した大久保博元打撃コーチが確実性を度外視し、本塁打を追求する打撃を推奨。中村は三振のリスクを背負いながらミートポイントを投手寄りにすることで、46本塁打で初の戴冠となった。田淵幸一、秋山幸二と先代アーチストたちのシーズン43本塁打の球団記録を更新した。

「現役時代の渡辺監督は西武の管理野球の中でも『新人類』と呼ばれ、明るいキャラクターだった。指揮官になっても変わらず、チームには自由な風が吹いた。中村も凡打を恐れることなく、伸び伸びとバットを振るようになった」(当時の番記者)

 09年は2年連続の本塁打王、さらに打点王と2冠に輝く。同時に2年連続の三振王でもあり、本塁打か三振の両極端な打撃を完全に確立した。特に11年は、前年の「飛ぶボール問題」で低反発の統一球が導入され、総本塁打数が激減したにもかかわらず、パ・リーグ全体の454本の10%を超える48本塁打を放ち、ひとり別格の数字を残した。

「いくら三振しても当たれば本塁打になるのだから……。中村に確実性を求める指導者はいなくなっていた」(同)

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