料理研究家「結城貢さん」を偲ぶ オールナイトフジで女子大生を叱っていた頃

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芸能人も通った

 本人も苦労人。生まれは旧満州の旅順で、やっと帰国できたのは終戦から2年後の1947年。香川県善通寺市の引き揚げ者住宅に住んだ。経済的に苦しかったため、弁当代を稼ぐために中学生の時から河川敷整備のアルバイトをした。

 県立善通寺一高から日大に進み、卒業後は野村證券に入社したものの、3年で依願退職。その理由については「サラリーマンが向かなかった」くらいしか語らなかったが、しがらみだらけの組織というものが肌に合わなかったらしい。

 最初に料理を学んだ店は原宿にあったロシア料理店「レカ」。経営していたのは巨人の往年の大投手・スタルヒンの夫人・ターニャさんである。結城さんの証券マン時代の取引先だったことから、ターニャさんから声を掛けられた。結城さんは皿洗いから始めた。

 腕に自信が付いた時点で店を開いた。会員制だが、小うるさい会員資格の規定も会員カードもない。客には普通の学生もいた。酔って騒ぐような態度の良くない客を次から入れないための口実だろう。

 原宿という場所もあって、客には芸能人も多かった。故・西城秀樹さんが贔屓にしていた。和田アキ子(72)も常連の1人だった。ただし、結城さんは著名人も特別扱いしなかった。VIPルームもない。そんなところが芸能人には逆に心地良かったのではないか。

 最後のテレビ出演は「ドリーム・プレス社」。もっとも、山崎と片岡とは2017年12月に会っている。オールナイターズの歌によるベスト盤「ALL NIGHTERS LAST SELECTION」の発売が機だった。

 アルバムを山崎と片岡が持参した。結城さんは顔をくしゃくしゃにして再会を喜んでいた。

 フジの社長就任が決まっている港浩一氏は笠井一二氏(73、現オフィスクレッシェンド最高顧問)と共に「オールナイト――」をディレクターとして大成功させた立役者。

 結城さんが社長就任のニュースを知ったら、破顔一笑したのか、それともやっぱり小言を口にしたのか。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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