料理研究家「結城貢さん」を偲ぶ オールナイトフジで女子大生を叱っていた頃

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 フジテレビ黄金期の深夜バラエティー「オールナイトフジ」(1983年~1991年)で女子大生に料理を厳しく教え、TBS「ドリーム・プレス社」でも安住紳一郎アナ(48)に料理指南をしていた料理家の結城貢さんが逝去した。81歳だった。奇しくも「オールナイト――」初代ディレクター・港浩一氏(70)の社長内定と同時期に逝った。

「そんなことも出来ないのか!」。しわがれた怒声と丸刈り頭が印象深い結城貢さんが逝った。

 結城さんは1970年代から東京・原宿で「うまくて安い」と評判の会員制テーブル割烹を経営していた。店は現在も由紀子夫人(65、元女優の泉じゅんさん)によって続けられている。

 客への愛想は決して良くなかったが、裏表が一切なく、内面は温かったため、いつも流行っていた。

 1997年までは新宿区河田町に社屋があったフジの制作部門のスタッフたちも結城さんの店に通い詰めていた。その縁から「オールナイトフジ」に出演し、料理のできない女子大生を生徒役とする「結城先生の真夜中のお料理教室」を担当することになった。

「なんだ、イモのそのむき方は!」

 生徒役になったのはオールナイターズ1期生で当時は東海大生だった女優の山崎美貴(57)と同じく玉川学園女子短大生だった女優の片岡聖子(58)。生放送のカメラの前でビシビシと鍛えられた。

「なんだ、イモのそのむき方は!」
「何やってんだよ!」

 山崎と片岡は毎回、小言を言われた。怒鳴られた。ある種、画期的だった。バブル前夜で女子大生ブームだったあのころ、彼女たちを厳しく叱るような中年男性など見当たらなかったからだ。

 1991年から1998年はやはりフジで平日午前中の料理番組「夕食ばんざい」のMCを務めた。「3分クッキング」(日本テレビ)の対抗番組である。当時の佐藤里佳アナ(55、アナウンス室長などを経て3月に退職)がアシスタントを務めた。

 その後は店に専念。テレビ出演は控えていたものの、「ドリーム・プレス社」にはTBS側から請われて出演。安住紳一郎アナに料理を指南する「出張!お料理虎の穴」のコーナーに登場した。安住アナもやっぱり小言を言われ、叱られた。

 座右の銘は「料理は愛情」。本人も情の厚い人だった。料理を教える時は厳しく、態度の大きな人には反感を隠さなかったものの、新人タレントや若いアシスタントディレクターら下積みの人たちには優しかった。

「苦労すると根性がつくからいいいぞ」
「人生、辛いことばかりじゃないからな」

 山崎や片岡にも料理の時以外は温かかったので、慕われていた。

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