カムカムエヴリバディでも触れない違和感 NHKが一切認めようとしない戦争責任

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

戦争を正当化したNHK

 戦時中のNHKはさんざんフェイクニュースを流したが、ドラマで取り上げたのは1つだけ。敗戦から1年2カ月前の1944年6月という設定の第16話で、マリアナ諸島の戦いを報じた。

 アナウンサーが、敵を水際で撃退したと伝えた。本当は大苦戦で、たった数日で実に3000人以上もの同胞が命を落としたとされている。

 当時、大本営陸軍部戦争指導班は「1億玉砕」を本気で指示していた。国民の幸福を考えていなかったどころか、命の重さを微塵も考えていなかった。常軌を逸していた。

 その大本営発表は国策通信社である同盟通信が原稿化した後、NHKに送られてきていたが、局員はそれをリライトしていた。日本の敗戦が濃厚だなどと事実に沿うように直していた訳ではない。逆だ。

 国民の間で厭戦気分の空気がつくられることを避けようとしていた。日本が勝ち続けているような印象を与えていた。NHKによる判断だった(参照・同)。

 NHKは偽りの大本営発表を報じていただけでなく、ウソの上塗りをしていたのである。

 戦時中にNHKが流していたのはニュースだけではない。ドキュメンタリーも制作し、放送していた。「病院船」と題された番組は当時の広島中央放送局が1941年5月25日に放送した。隣県の岡山で暮らしていた安子と家族も聴いたかも知れない。

 中国の戦場で負傷した兵士たちを日本に送還する病院船に取材班が同船し、つくられた。番組はこんなナレーションから始まる。

「世紀の聖戦として不滅のページを加え永劫に残るべき支那事変。大陸の戦野に皇軍の武威は遍く。我が将兵の壮烈無比なる膺懲の戦いは今なお熾烈を極めている」(参照・同12月号)

 国民が望んだわけではない戦争を正当化しようとする番組にほかならない。

 当時のNHKは人事面や予算面で政府の管理下にあり、厳しい統制を受けていたが、だからといって戦争責任を忘れても良い理由にはならない。統制下にあったのは新聞も同じなのだ。

 第18話だった1945年8月15日正午、敗戦を伝える玉音放送が流れた。

「朕、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」

 治安維持法はこの2カ月後まで存在していたものの、敗戦と同時に有名無実化しており、何を言っても良い世の中になった。それでも安子や父親の金太(甲本雅裕)たちはラジオへの不満を口にしていない。まるでNHKに盲従していたようだ。

 あまりにも不自然だった。このテーマとコンセプトのドラマが、戦時下のラジオの過ちに触れずしてどうするのだろう。

 安子たちに「ラジオがウソをついていた」と言わせるのはNHKのプライドが許さないのなら、「戦時中と言っていることが違う」と、つぶやかせても良かったのではないか。それすら嫌なら、残念ながらラジオをヒロインたちに寄り添わせるドラマの企画自体に無理があったと言わざるを得ない。

「ラジオへの怒り」はあったが…

 第20話。「基礎英語講座」が再開された。1945年11月のことだった。無差別攻撃によって1737人の市民が犠牲になった岡山大空襲から半年もだっていなかった。この空襲では安子の母・小しず(西田尚美)と祖母・ひさ(鷲尾真知子)も犠牲になった。

 安子は英語の勉強を再び始める。「基礎英語講座」の放送が再開されたことについての感想などは一切述べていない。城田優(36)による次のナレーションが流れただけだった。

「安子にとってラジオの英語講座を聴くことは稔を思うことでした」

 翌1946年2月には「英語会話(カムカム英語)」が始まる。第22話だった。安子は愛聴者になり、さらに英語学習に励む。ラジオを愛し続けた。

 ラジオへの怒りを表したのは安子の義母・美都里(YOU)のみ。ただし、これもNHKへの感情ではない。幼い日のるい(深津絵里)がラジオで「カムカム英語」を聴き始めて、テーマソングが流れると、こう言ってスイッチを切った。

「ごめんね、るい。おばあちゃん聴きとうないんじゃ。稔を殺した国の歌は聴きとうねえ」

 美都里の憤怒は米国に向けられたものだった。

 なお、戦時下のNHKは社団法人日本放送協会であり、1950年には放送法に基づいて特殊法人日本放送協会になった。しかし、業務内容や権利、職員はそのまま。戦争責任だけは旧組織に置いてきたという理屈は通らない。

 またNHKという略称はGHQとの協議で1946年3月から正式に使われているが、日米開戦の前だった1939年の日伊定期文化交換放送の協定案でも使用されたという記録がある。

 ひょっとしたら「戦争責任はもう、いいじゃないか」と言う人がいるかも知れない。だが、約230万人もの国民が犠牲になった事実はあまりに重い。悲劇を風化させてはならない。それは第97話(1994年)の終戦記念日に稔の魂を帰還させたドラマ側が一番良く知っているはずだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。