解雇当日に妻子と浅草観光…開幕早々「抑え失格」ですぐにクビになった3人の外国人投手

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「言葉がないね」

 2人目は、「打たれるストッパー」と呼ばれた、2004年のヘクター・カラスコ(近鉄)だ。大塚晶文が抜けた前年、絶対的な抑え不在に泣いた近鉄は、150キロ台の速球を武器に、メジャー通算498試合に登板したカラスコに救世主の期待をかけた。

 3月27日の開幕戦、日本ハム戦で4点リードの9回に来日初登板。カラスコは3者凡退に抑え、“頼れる新ストッパー”をアピールしたかに見えた。ところが、同30日のロッテ戦では、1点リードの9回にベニー・アグバヤニ、里崎智也の一発攻勢に沈み、救援に失敗。さらに4月9日の西武戦では、0対0の9回に1死満塁のピンチを招き、サヨナラ犠飛で2敗目と背信投球が続く。

 そして、とどめは同11日の西武戦。6対4の9回に登板したカラスコは、四球を挟む3連打と犠飛であっという間に同点にされ、なおも1死満塁で、和田一浩にサヨナラ満塁弾を浴び、梨田昌孝監督を「言葉がないね」と嘆かせた。

 4月28日の日本ハム戦でも6失点し、1勝5敗2セーブ、防御率20.00ではお話にならず、ついに2軍落ち。1軍再昇格後はリリーフとして貢献し、53試合で8勝8敗5セーブ、防御率5.57まで持ち直したが、10月26日、たった1年で戦力外となった。

「仲見世リ」

 3人目は、最速153キロの触れ込みで来日したのに、開幕からわずか18日後に解雇された、05年のダン・ミセリ(巨人)だ。パイレーツ時代の95年に21セーブを挙げた新ストッパーは「50セーブを目指す」の大目標を掲げたにもかかわらず、キャンプ、オープン戦を通じてなかなか調子が上がらない。

 そんな不安のなかで迎えた4月1日の開幕戦、広島戦で1点リードの最終回のマウンドを任されたミセリは、グレッグ・ラロッカに同点弾、緒方孝市に決勝2ランを浴び、チームの開幕戦白星を消してしまう。

 さらに同5日の横浜戦でも、同点の延長12回にサヨナラ打を許し、2戦続けて救援失敗。にもかかわらず、「リトルリーグみたいな小さな球場でやっているから、こういう結果になってるんだ」と反省のかけらもなかった。

 4月17日、山本功児ヘッドコーチ、阿波野秀幸投手コーチとの三者会談で右肩の痛みを訴えたため、2軍調整を勧めたところ、「2軍には降格しない契約を結んでいる」と拒否したため、翌々日に解雇が決定。球団では96年5月2日に解雇されたジェフ・マントを上回るスピード退団だった。

 その後、複数の関係者から、ミセリは前年限りで現役引退を決意していたが、巨人から前年の年俸の約3倍にあたる推定1億8000万円を提示されたので、「日本野球を経験するのもいい。ダメなら帰国するだけ」と“腰掛け程度”の気持ちで来日したことが明らかにされた。

 解雇当日に妻子とともに浅草観光に出かけたことから、一部の報道では「仲見世リ」と揶揄されたミセリだが、初めから半ば観光気分だった感は否めなかった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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