ビックボスから開幕投手に指名された北山亘大のアマチュア時代 甲子園では無念のサヨナラ負け

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 今季のプロ野球で何かと話題を振りまいている、北海道日本ハムファイターズの“BIG BOSS”こと新庄剛志新監督。特に驚かされたのが今年の開幕投手。なんと大卒のドラフト8位ルーキー・北山亘基を大抜擢したのである。新人の開幕投手は2リーグ制以後、過去に13人しかいない。パ・リーグでは2013年の則本昂大(東北楽天)以来9年ぶりとなる。日ハムでいえば、東映時代の56年の牧野伸以来、66年ぶりの快挙だった。

 だが、よほど熱心な野球ファンでない限り、「北山亘基って誰?」状態だったに違いない。BIG BOSS指揮のもと、チームの新たな船出を任された北山は、アマチュア時代どんな投手だったのだろうか。

大会注目の右の本格派右腕

 北山は1999年4月、京都府生まれ。出身高校は春夏ともに2回ずつの甲子園出場実績がある京都成章である。98年夏の甲子園大会では準優勝に輝いたこともある、地元でも指折りの強豪校だ。15年に入学した北山は、1年生の春からベンチ入りを果たし、続く夏の京都大会の初戦・日星戦(1-6で敗退)では先発に大抜擢されるなど、大きな期待をかけられていた。3年春の京都大会で“覚醒”。全4試合に先発し、チームのベスト8進出に貢献する力投を見せたのである。なかでも1次戦の2回戦で、前年秋の府ベスト8校の洛星相手に16奪三振、ノーヒットノーランの快投を演じている。続く2次戦の1回戦の相手は前年夏に圧倒的な攻撃力で甲子園出場を果たした京都翔英だったが、被安打6、10奪三振で完投。3-2とチームのサヨナラ勝ちを呼び込む粘投を披露した。

 こうして万全な状態で迎えた高3夏の京都大会で、北山はチームを実に19年ぶりの夏の甲子園出場へと導く立役者となった。全6試合に登板し、49回を投げ、60奪三振、13失点の力投。しかも4回戦の同志社国際戦は14奪三振をマークするなど、4試合で2ケタ奪三振を記録した。その投球スタイルは伸びやかで、躍動感あふれる投球フォームから投げ込む速球は、当時最速146キロを記録。この速球と縦に大きく割れるカーブ、縦に落ちるスライダーとのコンビネーションを武器としていた。特にストレートはスピード以上に伸びがあり、冷静なマウンドさばきも高校生とは思えぬものがあった。この大会での好投により、北山は一躍、大会注目の右の本格派右腕となるのである。

 甲子園デビュー戦の相手は、春の選抜で準優勝経験のある強豪・神村学園(鹿児島)だった。試合は1点を争う好勝負の様相をみせるが、それを演出したのが北山のピッチングだった。右オーバーから投げ込む直球は常時135~142キロを計測。ギアが入ったときには常に140キロ以上を計測しており、高めに伸びるストレートで空振りを奪っていく。そして縦割れのカーブと落差の大きいチェンジアップで強打の相手打線から毎回奪三振をマーク。3回表には先制の1点をもらい、5回まで無失点投球を続けていた。

 ところが6回裏、死球とヒットで2死一、三塁のピンチを招くと、6番の田中祐大に高めに浮いたストレートを右中間に弾き返され、逆転の適時三塁打を喫してしまう。北山を援護したい打線だったが、相手の先発・青柳貴大がテンポよく投げ込む変化球の前に反撃の糸口がまったく見つからなかった。8回表2死からようやく2四球とヒットで満塁のチャンスを作ったものの、2番手としてマウンドに上がった中里琉星の前に後続が倒れ、無得点。9回表の最後の攻撃もあっという間に2死となり、ついにあと1人と追い込まれてしまった。

 しかしこの土壇場で打席に入った3番・茂木健が右中間スタンドに飛び込む起死回生の同点本塁打。試合を2-2の振り出しに戻したのである。

 こうなるとしっかり抑えて延長に持ち込みたいところ。しかし、無死から一塁への内野安打を許すと、次打者の送りバントで自らがフィルダースチョイスを犯してしまい、ピンチが広がってしまう。最後は1死二、三塁から9番・中里の一打が三塁前に転がる内野安打となり、万事休す。北山は全国の大舞台で最速142キロをマークするなど、直球を主体に押す投球をみせ、被安打8、与四死球3、失点3、自責点3。8回まで毎回の11三振を奪う力投だったが、最後に力尽きて無念のサヨナラ負けを喫してしまったのである。

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