濱口メソッド、入れ子構造…映画「ドライブ・マイ・カー」の“凄さ”を検証する

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 濱口竜介監督(43)による映画「ドライブ・マイ・カー」が、世界中の映画ファンの視線を集めた。「日本映画は新しい時代に入った」とすら言われている。この映画のどこが凄いのか。

 上映時間は2時間59分。ほかの大半の映画より1時間ほど長い。もっとも、観た方ならお分かりの通り、長く感じさせない。

 主演の西島秀俊(50)を始め、三浦透子(25)、霧島れいか(49)、岡田将生(32)と見応えある演技をする役者たちがキャストに揃ったのも理由の1つだろう。だが、一番大きいのは脚本が出色だからだ。

 どう出色なのか。まず登場人物たちの人間性の描写がきめ細かい。観る側は上映が始まった途端、まるで実在するような登場人物たちへの強い興味が湧き、もっと知りたい欲求に駆られる。

 ある種、ミステリー的な要素も持つ映画なのだ。登場人物たちの隠れた内面や謎めいた行動の訳が、徐々に明らかにされていく。

 ストーリーが分かりやすく、テンポが早いのも長く感じさせない理由。テーマやメッセージがなんであるかは人によって受け止め方が違うだろうが、ストーリーそのものを難解と受け止める人はいないはず。

 短く感じるが、実際には長いから、濱口監督は妥協せずに済んだ。観客側に伝えたいことを描き切った。

 西島らキャストの演技はさながらドキュメンタリーのよう。最初からうまい人たちばかりであるものの、この映画の演技はほかとは一味違う。背景には「濱口メソッド(練習法)」と呼ばれる独特のリハーサルがある。

 キャストが勢ぞろいして、声を出してシナリオを読むのだが、感情を込めてはいけない。淡々と読み上げる。これを何回も何回も繰り返す。自分のセリフはもちろん、ほかの役者のセリフもすべて完全に暗記する。

 本番は役者がどう演じても構わない。だが、それぞれの役者が本番で初めてセリフに感情を込めると、強いリアリティーが自然と生まれるという。自分以外の役者が、セリフにどう気持ちを注ぎ込むのかを事前に知らないので、予定調和にならないのだ。

 役者たちは感情の入ったセリフを本番で初めて耳にすると、現実の言葉のように聞こえるという。セリフの中身はすべて知っているものの、生きた言葉ではないからである。セリフが現実のように聞こえると、それを受けての表情などのリアクションがおのずと真に迫る。

映画オリジナル要素

 濱口作品にはシナリオ以外に「サブテキスト」がある。これもドキュメンタリーのように映る理由。サブテキストにはシナリオにはない登場人物たちの過去がびっしりと書かれている。経歴はもちろん、経験したエピソードの数々も。

 これがあるお陰で、役者たちは自分が演じる役柄の人物像を細部まで把握できる。

「濱口監督は役者が役になりきるのは不可能という考えの持ち主。ほかの大半の監督も同じ考えでしょうが、役者が役柄に憑依するなんてことは無理なんです。だから濱口監督はどうすれば役者が演じる役柄の人物に近づくかを考え続けている」(映画ライター)

 ストーリーそのものも面白い。まず仲睦まじい夫婦が登場する。演出家兼役者の家福悠介(西島秀俊)と脚本家の妻・音(霧島れいか)である。夫婦には幼い愛娘を亡くした悲痛な過去があるものの、平穏な日々を送っていた。

 もっとも、それは砂でつくられた城のようなものだった。ある日、家福は妻の重大な秘密を知り、打ちのめされる。家福の信頼を裏切るものだった。

 それでも家福は音を問い質したり、責めたりすることが出来ない。音を傷つけたくないし、なにより自分が傷つくのを怖れた。

 その後、音は秘密について語らぬうちに病で急逝する。家福は音に対する不信感や疑問を抱えたまま、同時に強い喪失感を背負う。

 2年後、家福は広島の演劇祭で多言語劇「ワーニャ伯父さん」を演出することになった。そこには主宰者側が用意した専属ドライバー・渡利みさき(三浦透子)がいた。無表情で事務的な言葉しか口にしない女性だった。

 劇の主演は音の秘密に深く関わる役者の高槻耕史(岡田将生)が務めることになった。だが、家福はやはり音の秘密について問えない――。

 原作が村上春樹氏の短編集『女のいない男たち』に収められている同名小説と、同じく「シェエラザード」「木野」なのは知られている通り。

 ただし、ご覧になった方には説明するまでもなく、映画にはオリジナルの部分がかなりある。一番大きいのは多言語劇「ワーニャ伯父さん」のリハーサルから上演までを描く入れ子構造(物語内に違う物語を埋め込む)にしたところ。

 ロシアを代表する劇作家で小説家であるチェーホフが紡いだこの戯曲が、日本語や英語、中国語、マレー語、韓国手話などを使う役者たちによって準備され、演じられる。

 さまざまな言語の人、障がいのある人が対等な関係で劇をつくり上げていくのを観ているうち、濱口監督による「言葉の違いや障がいは人間同士の結び付きを妨げるものにはならない」という強いメッセージが伝わってくる。

 このメッセージは作品全体に通底している。年齢もまた壁にならない。50代の家福は自分の年齢の半分にも満たない23歳のみさきとやがて通じ合う。普遍性のあるメッセージなので、海外での評価の高さと関係しているのは間違いない。

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