「若い頃の父にもう一度会えたら…」 日韓英トリリンガル俳優・玄理が感じたきっかけとは

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しょっちゅう喧嘩していた父

 韓国人の両親のもと東京に生まれ、日韓英のトリリンガル俳優として活躍する玄理さん。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した濱口竜介監督作品「偶然と想像」にも出演し、その演技が高く評価される彼女が「もういちど会いたい」と願うのは、若き日の父。その理由とは。

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 年末年始がどうやら忙しくなりそうだったので、去年の11月、私は両親に会いにソウルへ向かった。

 両親が東京からソウルに引っ越してはや5年が経つ。

 お酒が飲めない父は、私が暇そうにしていると「コーヒーでも飲むか」と言って最近見つけた近場のカフェに連れ出してくれる。その日は家から片道15分か20分くらいのお店に足を運んだ。

 いつからだろう、父と歩くときに腕を組むようになったのは。ソウルに留学して日本に帰った後からだろうか。

 子供の頃は完全にママっ子だったし、もっと小さい時はおばあちゃんっ子だった。それまで父はどちらかというと近寄り難い存在だったのに、弟は留学中、母は仕事で家を空けることが多かったため、ほぼ父と二人暮らしになってしまった。しばらくは、しょっちゅう父と喧嘩した。子供の頃から父にぶつけられなかった感情や不満が一気に吹き出したかのようだった。

父の変化

 数年経つと、私はだんだん父を理解するようになっていた。

 どんなに家族を、私を思っているか、母親の愛情の形だけが愛じゃないことを遅ればせながらに知った。そもそもが、器用な人でないのだ。柔らかくなんて生きてられない時代を、生きてきた人なのだから。

 少し私の買い物にも付き合ってもらった帰り道、父の歩みが遅いことに気が付いた。買い物で疲れちゃったのかな、と思いながら私も歩くスピードを緩める。頭では、父も年々年老いていくことを理解していても、心には微かな動揺が広がっていた。

 父は私の同級生のお父さんたちより年齢こそ上だが、すごく若く見えた。背だって平均くらいでそんなに高くはないけど、がっしりしていた。胸回りが100cm以上あることが自慢だったお父さん。大食漢で、胃がんの手術で胃を3分の2切ってようやく普通サイズになったと笑っていたお父さん。

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