36年続いた「ゆうゆうワイド」終了 ラジオの特性を熟知した大沢悠里さんの“気配り”とは

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自らが営業マンや宣伝マンに

 ラジオは不思議なメディアだ。不特定多数の人々に向けて発信されている「マスメディア」であるにもかかわらず、聴いている側からすると「私だけに語りかけられているのではないか」と錯覚してしまう瞬間がある。そういったラジオの特性を知っている悠里さんの言葉は、「みんな」にではなく「あなた」に届けられる。

 94年、悠里さんは脳梗塞で倒れ、1カ月ほど入院することになった。その時、多くの入院患者さんが病院でラジオを聴いていることを知り、以来、番組の冒頭で「病気療養中の方もお付き合いください」と語りかけるようになった。また、番組冒頭で「今週お誕生日の方、おめでとうございます」と語りかけるのも、一人暮らしのお年寄りが「誰も誕生日を祝ってくれない」と嘆いているのを耳にしたからだという。

 リスナーだけでなくスタッフへの気配りも怠らない。ラジオ番組では珍しく番組の最後に制作スタッフの名前を読み上げるのも、悠里さんのアイデアだ。名前が読まれると、スタッフの家族が喜んでくれる。スタッフ本人も「この番組でミスはできない」と身が引き締まる。そのような叱咤激励と感謝の気持ちを込めて、一人ひとりの名前を読み上げているのだという。

 しかし、リスナーの支持だけでは、番組を続けていくことはできない。ましてや36年も番組を続けるのは至難の業。その秘訣は何か?

「週刊新潮」2021年7月1日号に掲載された悠里さんとの対談で、生島ヒロシは「どんなに中身がよくても終わる番組はある」とした上で、「自分がプロデューサーになって、営業マンや宣伝マンになれとも教えていただいた」と悠里さんからのアドバイスを明かしている。悠里さんも「私も行く先々で名刺を配り歩き口コミを広げていったし、飲み屋で隣り合わせになった人にお願いして何件もスポンサー契約を取り付けました」と話す。

 毎回、番組を楽しみにしてくれている人たちの期待を裏切らないために、このような努力もしていたのだ。

「人情・愛情・みな情報」

 番組からはいくつもの名物コーナーが誕生した。

 リスナーからの「笑える、ユーモアのある、色っぽい」体験談を朗読する「お色気大賞」では、悠里さんが森繁久彌や丹波哲郎、藤山寛美などの声帯模写を交えながら熱演。落語の艶笑噺のような語り芸が笑いを誘う。また、女性リスナーからの「心に残る出会いと悲しい別れ、新しい出会い」にまつわるエピソードを紹介する「おんなのリポート」では、悠里さんのしみじみとした語りに耳も心も引き寄せられる。

 番組のコンセプトであり悠里さんの座右の銘でもあるのが「人情・愛情・みな情報」。これについて悠里さんは、「放送文化」2009年春号のインタビューで、次のように話している。

《情報って、情を伝えるものなんです。「情に報いる」とも読めるでしょ。ちょっとした、ほのぼのした話に「あ、そうね」と思ったり、心を動かされたりするものなんですよ》

 ラジオは時に「究極のながらメディア」と言われることがある。トラックやタクシーの運転手はクルマを運転しながら、飲食店では開店前の準備をしながら、家庭では育児や介護、家事をしながら……、多くの人が何かしらの仕事をしながら耳を傾けている。そのためラジオは、人々の「生活の一部」になる。

 ここ数年、悠里さんは番組内で「皆さんに支えられて番組を続けてこられた」と口にするが、リスナーからすると「支えられてきたのは私たちのほう」という思いでいるはずだ。そんな番組が惜しまれつつ終了し、悠里さんはラジオの第一線から引退する。本人が決めたことなので致し方ないが、ときどきはラジオに戻ってきてくれるはずだと、長年のリスナーたちはほのかに期待しているのだ。

デイリー新潮編集部

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