「インテリヤクザ」二人の信頼関係 石原慎太郎と西村賢太【追悼】

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 石原慎太郎さんの訃報に際し、「胸中の人 石原慎太郎氏を悼む」として、読売新聞に追悼文を寄せたのは西村賢太さんだった。石原さん死去翌日の2月2日文化面で、西村さんは「虚脱の状態に陥っている」とショックを隠さず、石原さんを悼んでいる。

 石原作品との出会いは、中学卒業後、肉体労働に明け暮れていた時期のことだ、と西村さんは懐かしむ。16、7歳の頃、日雇い労働後、読書を娯楽としていた西村さんにとって、古本屋で4冊100円ほどの安い文庫本を買うのが、金のかからない暇つぶしの方法だった。その中に石原さんの作品も数多く入っていたのだという。

 西村さんによれば、「この時代――1960年代にはいかにも頭と小手先で書いただけの“物真似(ものまね)ハードボイルド小説”が横行した」が、石原作品は「その種のまがい物ではない、いわゆる“身体性”を伴った真物(ほんもの)だとの印象があった」という。その上で、西村さんは「自分にとっての信用できる作家であった」と書いている。

 西村さんは3度、芥川賞候補になっていた。西村さんは、「落選を繰り返す拙作をその都度文中の“身体性”に着目して唯一人推し続けて下すっていたことは、忘れられぬ徳である」と、先の追悼文で振り返っている。

 西村さんは2011年、『苦役列車』で、芥川賞を受賞。その文庫版に石原さんは解説を寄せた。西村作品の魅力をこう分析している。

〈西村氏の全ての作品は、ろくに風呂にも行かず顔も洗わず着替えもせずにいる男の籠った体臭をあからさまに撒き散らしていて、その心身性には辟易する読者もいるに違いないが、しかし有無いわさずこれが人間の最低限の真実なのだといいきっているのがえもいえぬ魅力なのだ〉

〈西村氏の場合、彼の作品の根底を支えている貧困という主題が、氏が売れっ子になっていく過程で、つまり裕福になることで阻害され、作品の魅力を殺(そ)いでかかる危うさが待ち受けているかも知れない〉

 この「解説」のタイトルは「魅力的な大男」。「解説」は次の一文で締められていた。

〈成功のもたらすだろう生活の変質の中で、このしたたかな大男がさらに大きくなるのか萎縮するのかその変質に尽きせぬ興味がある〉

 政治や社会問題についての「石原節」は訃報に際してもよく伝えられたが、対象が文学であっても舌鋒は鋭く、気に入らない作品についてはかなりストレートな物言いで批判することが珍しくなかった。たとえそれが先輩だろうが、世間では大作家といわれる存在だろうが、遠慮はなかった。お世辞など言うはずもない。

 それだけに、「苦役列車」への賛辞はいかに当時高く評価していたかがよくわかる。どこかアウトロー的な経歴、風貌もまた石原氏が好むところだったのだろう。

 西村さんによると、石原さんは初対面の際、「お互い、インテリヤクザ同志だな」と、西村さんに声をかけたという。開口一番、発せられたその言葉に、西村さんはその後も戸惑い続けた。

〈その真意は分からない。以降、お会いするたびにお聞きしようと思いつつ、結句(けっく)野暮(やぼ)なこととして控えていた。

 今はそれで良かったと、虚脱状態の中で得心している〉(読売新聞2月2日記事より)

 この追悼文で、西村さんは次のように心中を吐露していた。

〈10代の頃から愛読していた小説家の逝去は、やはり衝撃の度合いが違う。これでもう、私が好んだ存命作家は唯の一人もいなくなってしまった〉(同)

 そしてそう記していた作家もまた、その4日後に亡くなった。石原さんの追悼文は、西村さんの絶筆となった。

デイリー新潮編集部

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