「大学院は最高で、地獄だった」 秋吉久美子が明かす50歳を超えての早大大学院生活

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論文の最後に誤字脱字が集中

 その論文を書いていた頃、マニキュアがはげ、長さもバラバラで手入れが行き届いていない爪を教授に見とがめられた。もう爪どころではないのです、と訴えたところ、淡々と「爪を切りなさい」と指示を受け、帰りにコンビニで爪切りを買って、その辺で座り、爪を切りました。これが、答えだ。公共経営の精神は実学です。完全に「論文モード」に入った瞬間でした。

 ちなみに、私の論文は最後の20ページのところに誤字脱字が集中しています。その部分に、まるで貝塚みたいに誤字と脱字が集積していました。最後の最後、いかに私が追い詰められていたかが分かります。

 今振り返っても、あれは人生の山の一つでした。ですから、社会人になって学び直しを始めても、よほど意志が強くないと卒業・修了するのは難しいというのが実感です。途中で挫折する可能性も大いにある。でも、それでもいいと思うんです。なにしろ、私自身が「中退」の実体験者でもありますから。

両親の信頼を裏切ってきた

 大学院を修了した後に、日仏学院に通ったことがあるんです。ソクラテスの弟子であったプラトンの原書を、タイトルだけでも古代ギリシャ語で読んでみたかった。智慧に近づきたいという気持ちです。でも、ダメでした。いざ通ってみたら、ギリシャ語――フランス語辞典があって、それをフランス語――英語辞典を使って訳し、それをさらに日本語に直す……。さすがに無理で、5回で行くのを止めました。その結論。

 Better than nothing.

 何もしないよりはマシ、じゃないでしょうか。

 子どもの頃は、「神童」扱い。中学生の時はクラスで1番で入学、一旦落ちましたが、また1番で卒業。でも、高校が進学校で、周りがみんな勉強をしているのを見たら、私がしなくても他の人が勉強すればいいじゃないと思っちゃって、女優になった。

 母親は何も言わなかったけれど、内心では裏切られたと感じていたと思います。彼女は貧乏子沢山の育ちで、学びたかったのですが、高等教育を受けられなかった。だから成績の良かった私には期待していたと思うんです。父親も似たような思いを持っていたとは思います。私は両親のそうした信頼を裏切ることを肯定して生きてきた。

 その両親を50歳を過ぎてから、次々と亡くしました。つまり、両親が亡くなるまで私は反抗期が続いていたわけですね。そして実際に両親を失ってみると、心の中には悲しいとかそういう感情以上に、ものすごい葛藤が生まれました。反抗期を総括しないといけないんじゃないか、今からでも遅くないから、両親の期待に沿って生き直してみてもいいんじゃないかなと。

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