コロナで建築はどう変わっていくのか? 隈研吾が語る、ひとの住まいと建築がこの2年間で変わったこと

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 コロナ禍は建築にどのような影響を与えるのか。多くの人が密集して住み、働くという都市の前提は崩れてしまった。たとえ感染が収束したとしても、完全にコロナ前の世界に戻ることはない、というのは衆目の一致するところである。

「TIME」誌で「世界で最も影響力のある100人」(2021年)に選ばれ、世界中から常に設計依頼が殺到している世界的建築家、隈研吾氏に近況と合わせて、これからの都市、そして建築について聞いてみた。

――世界中を回っていらしたのが、この2年で大きく変わりましたか?

 コロナ前は、多い時は海外出張が1年間で60回もありました。台湾や韓国など近隣の国は日帰りという場合も多かったですね。iPadと着替えだけ布バッグに入れていつも出かけるので、「荷物はそれだけですか?」と驚かれることもあったくらいです。

 それがこの2年間で動けなくなったので、オンラインが増えました。とはいえ、東京の他に、パリと北京、上海にオフィスを置いていますし、アメリカ、ロシアなど世界中でプロジェクトが進んでいるので、減ったとはいえ行き来があり、“生きた情報”は入ってきます。

 事務所に所属する社員は300人ほど。東京のオフィスは日本人が多いものの、世界中で考えると、4割ほどが日本以外の国籍を持っていると思います。そこから入ってくる情報も多いんです。中国では防疫のための隔離のやり方が厳しいため、住んでいる地区が封鎖をされると出社ができず大変だとか、直接聞くとテレビのニュースとは違う様子が見えてきます。

「海外での仕事は勝手が違って大変でしょう」と聞かれることも多いのですが、海外の人が日本に来たら、それはそれで勝手が違って戸惑ったり困ったりする場面があるので、お互い様だと思って、実は大変さはあまり気になりません。

 移動は減って体は楽になりましたが、やはり足を運ばないと仕事は始まらないという面は依然としてあります。それでも行けない場合、現場のディテールをオンラインでいかに伝えて見せるかが重要になります。その技術はだいぶ上がってきましたね。必要に応じてみんな工夫をしていくんですよね。

――リモート勤務が増え、東京は変わったでしょうか?

 変わりましたね。日本人は自分の住まいや勤務先など、自分の「箱」のなかでこれまで「空間」をうまく把握してそこに対応して暮らしてきたと思うんです。そういえば、ちょうど最近読んだ『ヒトの壁』(養老孟司・著)に興味深いことが書かれていました。

 養老さんは一昨年(2020年)、飼い猫のまるを亡くしたのですが、その死をどういう時に実感するか。それは、いつもいるはずのところに、まるがいない時。「そこにいない」と気づいた時に死を意識する。つまり空間認識の一環で、まるの死を認識するというんです。その場に何がどう居るか。当たり前ですが人はその認識に影響を受けるわけです。人間は時間を認識するのが苦手な動物なんです。でも、空間の認識は得意です。だから、死も空間の問題として把握しようとする。死というものは、いるべき場所からいなくなることなんです。

 ところが、リモートが増えたことで、自宅という自分にとって一番重要な空間のあり方が変わってしまった、自分がいる空間がここまで変化する経験は、ひと自身を変え、生死に対する認識も変えると思います。

――企業経営側は社員を出勤させようとしますが、社員の意識は変わってしまっているようにも感じます

 リモートが増えると、何も考えていない会社組織に貢献しようという意欲は減るでしょうね。空間の中にいて、その会社がお金を出して作った建物に居させてもらっているから忠誠心があった。ですが、そこから離れると、忠誠心も出世欲も全てがフィクション(想像による虚構)だとわかってしまうわけです。

 生き物は弱くできているから、空間に簡単にだまされます。ヒットラーがあれだけ建築に力を入れたのは、自分のフィクションを信じさせる手段として重要視していたからでしょう。だから、人間が作った空間にだまされていたひとが自然環境に囲まれると、だまされていたことに気付くはずです。可能な限り自然にいる時間を増やした方がいいと僕は思っています。そもそも、戦後アメリカの工業化を取り入れて、日本の「家」は同様に工業化してデザインにおいても材料においても自然から離れていきました。そのままでいいのか。そのままでいられるのか。

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 こうした問題提起は、コロナ以前から隈氏が行ってきたものだ。隈氏の代名詞ともいえる「木」や「自然」が溶け込んだような建物の数々もそうした問題意識から生まれたものなのだろう。自身の半生と建築に関する考えをまとめた著書『ひとの住処』の中にはこんな記述がある。

「世紀の変わり目、2000年前後から、木の建築が、世界中から注目されはじめた。地球温暖化だけがこの動きを作ったのではない。ITが生活の隅々まで入り込んできて、人々の生活は大地から切り離される一方になり、われわれは大きなストレスを日々受けるようになった。そのストレスを癒やす力が、木の建築には備わっていたのである」

 隈氏は、自身のオフィスのひとつを北海道の自然の中に新たに建てているという。コロナ禍を経て、隈研吾氏の作品もまた、さらに変化を続けるのだろう。

デイリー新潮編集部

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