藤井聡太が抜けない最年少記録とは?「神武以来の天才」と言われた男の恐るべき早熟

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 年明け、将棋世界で4人目の五冠を目指す王将戦の七番勝負第1局で藤井聡太四冠(19)は渡辺明王将(37 三冠)を破る好調な滑り出しを見せた。

 ところが1月13日に大阪市の関西将棋会館で行われた第80期名人戦の順位戦B級1組のリーグ戦で、千田翔太七段(27)に112手で敗れた。千田にほとんど攻められっぱなしで敗れた藤井は「悪い手が多かった。仕方がない」としょげていた。

 これで8勝2敗となったが、依然、A級昇級の一番手に位置していることは変わらない。13人の棋士が覇を競うB級1組でたった10人のA級に昇級できるのは2人。3敗で追うのが千田と佐々木勇気七段(27)、稲葉陽八段(33)だが、藤井の1月中の昇級は消えた。

「鬼の棲家」と呼ばれる猛者ぞろいのB級1組。さすがの藤井とて「一期抜け」は容易ではない。

 さて、これまで「最年少記録」ずくめの藤井聡太でも、既に破ることができなくなっている大記録がある。A級昇級の最年少記録18歳3か月である。

 記録の持ち主は「ヒフミン」こと、あの加藤一二三九段(82 引退)である。資格者はたった10人、棋士憧れのA級に加藤は1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代と在籍したのだから超人である。

 1940年生まれ。中学生棋士第一号だった加藤は、C級2組から一度もダブることなく毎年度「一期抜け」してA級にまで駆け上がった。A級昇級の日付は1958年(昭和33年)4月1日だが、2009年からは、対局の日が昇級の日付になっている。今でいえば、加藤が昇級を決めたのはこれより少し前である。藤井すら及ばない記録こそが「神武以来(じんむこのかた)の天才」と言われた加藤の恐るべき早熟ぶりを示している。

「最年少名人位」

 加藤に続く最年少A級昇級記録は谷川浩司九段(59 十七世名人資格)の19歳11か月だ。仮に藤井が今季でA級に昇級すれば、19歳5か月か7か月の範囲なので、谷川の記録を抜いて2位になるが加藤には届かない。

 藤井は加藤と違い、C級1組からB級2組へ昇級する際に一期だけダブったが、届かないのはそのためではない。

 加藤の誕生日は元旦。藤井は7月19日である。藤井が加藤のプロ入りの最年少記録を抜いて棋士となった時から、すでに抜けない記録だった。

 ただ、加藤九段が順位戦リーグの最終目標である名人の座を勝ち取ったのは、なんと42歳だった。若い頃から他の数々のタイトルも奪っていた加藤も名人にだけはなかなか届かなかった。名人になったのは1982年。その当時は、中原誠十六世名人(74 引退)の全盛期。七番勝負は4勝3敗で加藤が制したが、持将棋1局と千日手2局を含み、指し直しで事実上10局を闘う歴史的な大接戦だった。見事に中原を破った加藤は勝利するや、対局場の廊下を走って電話に飛びつき、妻に「勝った」「勝った」と叫んだとの逸話がある。

 その加藤も翌1983年には新鋭の谷川に敗れてしまい、名人在位は一期に終わった。以前に取材した時、谷川は「名人戦の挑戦権を取れば中原さんと当たるとばかり思っていたので、もっぱら中原さんの将棋を研究していました。加藤さんに挑戦することになりちょっとびっくりした」と回想していた。新名人についた谷川はこの時、21歳2か月だった。これが現在も名人位奪取の最年少記録だが、今後藤井が目指す記録としては最も難しいものでもあろう。

 今期、藤井がA級に上がれなければ、谷川の記録は、藤井を凌ぐ新たな超天才の若手が現れて抜かれない限りは残る。昨年夏に取材した際、正直な性格の谷川は「私の残る記録は最年少名人位なので抜かれたら寂しくなるかもしれませんね」と話していた。その谷川も順位戦の昇級では一度、ダブっている。

 もう一つ、加藤が持つ最年少記録が名人挑戦での最年少記録である。

 これは藤井が昇級過程で一期もダブらなければ抜けた可能性もあったが既に、抜けない記録である。

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