藤浪がわらをも掴む気持ちで菅野に弟子入りで、ちょっと考えさせられること【柴田勲のセブンアイズ】

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「いつもの10倍はトレーニングしていますよ」

 でも、藤浪が復活したら菅野の株は上がるだろうし、改めて受け入れた度量の大きさもクローズアップされるだろう。菅野自身も巻き返しに向けて、大いに刺激を受けているかもしれない。

 菅野と藤浪、最終的にはお互いに、「良かったな」と振り返るような合同自主トレになってくれればいいが。

 それにしても最近は選手の自主トレでの体作りから2月1日へのキャンプ・インまでが早くなった。現役時代は1日に多摩川グラウンドに集合、4~5日体を作って宮崎に移動した。いまは1日に投手はブルペンに入り、野手はガンガン打つ。菅野も1日にブルペンに入ると語っている。1日までに体を作ってこいと言われるようになったのは1985(昭和60)年、王(貞治)さんが監督の頃からじゃないかな。

 自主トレといえば私も長嶋(茂雄)さんと一緒にやった経験がある。川上さんの命令で右打ちに専念した3年目の70年だった。長嶋さんは当時、伊豆・大仁で自主トレを行うのが通例で、「ご一緒してもいいですか」とお願いした。「いいけどオレのは(柴田が)考えているような自主トレじゃないよ。キャンプに向けての気分転換だから」と言う。東京にいると雑事に追われたからだろう。

 お互いに部屋を取り、それでも朝からランニング、キャッチボール、素振りと結構練習した。夜は、「素振りをしたかったらオレの部屋にこい。見てやるよ」と。そうしたら、ホテルの人が、「今年の長嶋さんは柴田さんが一緒だからいつもの10倍はトレーニングしていますよ」だって。あとは東京から連れてきたご夫婦のマッサージ師に入念な身体のケアを受けていた。10日間、当時のお金で50~60万円はかかったと記憶している。

 昔といまでは自主トレのありようも大きく変わってきた。キャンプ・インまでもう少しだ。だれもがケガなく、無事に迎えることができるよう願っている。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

デイリー新潮編集部

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