なぜ雅子皇后と紀子妃への評価が10年で逆転したのか “皇室特権”への批判と公私教育の差異

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“税金泥棒”

「小室問題」で失墜する秋篠宮家と対照的に、令和の天皇家は、先行きが随分と明るそうなのである。

 世論調査では「女性天皇」への賛成が9割近くに達するものもあるなど、次の御代での「愛子さま」即位を求める声も高止まりする一方。

 本来、「女性天皇」の是非は、皇室の根幹に関わる問題であり、慎重の上にも慎重を期した議論が必要なのだが、国民の間にそうした理解は広まらず、まるで「愛子さま」と「悠仁さま」の“人気投票”となっている側面も否定できない。

 そうした空気を紀子さまも敏感に感じていらっしゃるのか、ご心労は増す一方のようで、

「“駆け落ち婚”のショックは大きく、もはやトラウマになりつつあるのでは」

 と声を潜めるのは、さる秋篠宮家の関係者。

「眞子さんご結婚後、お知り合いらが祝意を表しても、紀子さまは“ありがとうございます”とはお返しにならないんです。無言で、時には、笑顔も見せず、目を吊り上げ、口を真一文字にして押し黙られることもあるくらいで……」

 と嘆く。

「10年前であれば、考えられない事態ですね」

 と振り返るのは、さるベテランの皇室担当デスク。

 皇太子妃時代の2003年暮れに体調を崩され、「適応障害」と診断された雅子さまは、以後、宮中祭祀やご公務を度々欠席されるようになった。

「しかし一方で、ご家族で高級レストランへ外食に行かれたり、スキー旅行へと出かけられたりすることもあったため“公より私を優先している”などの批判に直面されてきた。公衆の面前で“税金泥棒”との言葉を浴びせられたこともあったほどです」

 10年には、学習院初等科2年生だった愛子さまが、学校での友人とのトラブルをきっかけに登校拒否に陥る。以来、雅子さまは登下校の付き添いや、授業中も校内で待機する「一人授業参観」を1年以上続けられ、これまた“私優先”との批判を招いたのであった。

10年前と評価が逆転

 他方の紀子妃はといえば、

「ご結婚以来、過剰と思えるほど、皇室の環境に適応されてきました」

 と前出・デスクが言葉を継ぐ。

「公務にも休まず取り組まれた上、当時の天皇・皇后両陛下の元を孫の眞子さま、佳子さまを連れて頻繁に訪れていらっしゃいました。天皇家、東宮家の3家族で会食された際も、東宮家が帰られた後、1時間以上も残ってお話をされたり、陛下が入院された際も、東宮家よりも先にお見舞いに行こうとされたり……。宮家においても、美智子さまのなさりようを真似され、その通りふるまってこられましたね」

 何より、東宮家に男子が生まれぬことから皇統の危機が叫ばれ、皇位継承についての議論が進む中、06年には悠仁さまをご出産。「皇統を救った」とまで評されたのであった。

 夫の秋篠宮殿下も04年、兄君の“人格否定発言”について「事前に天皇陛下と相談すべきだった」と記者会見の場で苦言を呈された。

「内々におっしゃるのならともかく、国民全体にアピールするように述べられたことで、まるで東宮家を見下しているかのような印象を与えました。ただ、一般には“毅然とした弟君”と映り、評価が上がったのも事実です」

 それが今や彼我の差かくのごとし。10年も経たずして、こうもコントラストが逆転する例も珍しいのだ。

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