なかにし礼さん 手がけた歌詞は4千曲 歌詞を文学のレベルに昇華した表現力【2021年墓碑銘】

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石原裕次郎さんの勧めで作詞家に

 当時からなかにしさんを知るジャーナリストの塩澤実信さんは言う。

「菅原さんから“過去”という部分が歌いにくいと言われても“この言葉は大切だから”と折れなかった。なかにしさんは詩人でした」

 石原裕次郎さんの勧めもあり訳詩から作詞に転じた。

「作詞は閃(ひらめ)きを待つと言い、誰もが共感できる言葉を探していた。一度歌詞にした情景は二度と使わないほど自分に厳しかった」(塩澤さん)

 70年のベスト100曲のうち30曲以上をなかにしさんが作詞した作品が占めた。

 音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんは回想する。

「史上最高の作詞家でした。作詞を文学のレベルに持ち上げた人です。それでも完全に書き込むことはしない。作詞で完結してしまうと、作曲家が腕を振るい、歌手がいかに歌うか、という余地がなくなってしまう。そこまで考えて作っていた」

12年に食道癌が見つかり……

 成功の陰で、兄に苦しめられていた。なかにしさんの名で借金をしたり、印税を横取りしていたのだ。豪遊し、事業を興しては潰し、破滅的に散財した。

 兄が作った借金は10億円を超えたようだ。なかにしさんは自宅まで処分し、生活費に事欠く状態に陥っても、兄の借金を完済した。

 音楽評論家の安倍寧さんは思い起こす。

「お兄さんで苦労したのに、“平穏な生活をしながら作詞をしていたら、つまらない作品になっていたかもしれない”とも言うのです。有り余る才能の持ち主でした」

 その兄は96年に死去。初の長編小説『兄弟』に、凄絶な関係を書き尽くした。次作の『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞している。

 妻の由利子さんは元歌手。いしだあゆみさんの妹である。妻の実家を題材にした小説『てるてる坊主の照子さん』(新潮社刊)はNHK連続テレビ小説の原作に。

 12年に食道癌が見つかる。回復したが、15年に再発。それでも活動を続けた。

 20年12月23日、心筋梗塞のため、82歳で逝去。

 苛酷な引き揚げ体験を心の奥底に抱き続け、表現の原動力にした気骨ある人だ。

デイリー新潮編集部

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