鹿島建設と鹿島家の「婿取り作戦」 70歳の「新社長」誕生で、女系家族による世襲経営に幕

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 スーパーゼネコンの一角を占める鹿島(法人名は鹿島建設)の経営トップが6年ぶりに交代した。6月25日の定時株主総会後の取締役会で、副社長執行役員だった天野裕正が取締役社長に昇格し、社長だった押味至一(おしみ・よしかず)は会長に退いた(敬称略・出典など巻末註1)。

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 入社以来、天野は建築畑を歩み、押味から2代続けて建築部門の出身者がトップの椅子に座る。

 天野は取締役の経験がない。執行役員からいきなり代表取締役社長に就くが、9月で70歳になった。押味も72歳であり、若返り人事ではない。

 最大のサプライズは、序列ナンバー2の代表取締役副社長だった渥美直紀が相談役に退いたことだ。創業家出身で、かれこれ20年近く「次期社長の本命視されてきた」(関係者)のに、社長になれないままひっそりと去ったのである。

 2015年、専務執行役員だった押味は第12代社長(15~21年)に昇進した。11代社長・中村満義(05~15年)は代表権のある会長に退いた。中村は「鹿島を作ってきた創業家を尊敬している。ただ、社長は時代に即した人物を選ぶことで(鹿島は)成長する」と述べた。

 だが、押味時代、鹿島は不祥事の連鎖に見舞われた。

 今年3月1日、リニア中央新幹線工事をめぐるスーパーゼネコン4社の談合事件で、独占禁止法違反(不当な取引制限)罪に問われた大成建設の元常務執行役員・大川孝、鹿島の元専任部長・大沢一郎と、法人としての両社に対する判決が東京地裁で行われた。

鹿島は冒頭陳述で反論

 判決で、被告の大川と大沢にはいずれも懲役1年6月、執行猶予3年(求刑・懲役2年)、両社に罰金各2億5000万円(同・罰金3億円)を言い渡した。

 事件をめぐっては、法人としての大林組と清水建設も起訴されたが、2社は談合を認め、それぞれ罰金2億円、同1億8000万円が確定している。両社の担当者は立件されなかった。

 鹿島は談合の事実を認めず、「受注者を決める競争は、JR東海の意向によって事実上、決着していた」と裁判の冒頭陳述で主張した。

 今年10月1日には、東日本大震災の復興事業をめぐり下請け業者から受け取った謝礼を申告せず、約8300万円を脱税したとして所得税法違反の罪に問われた鹿島東北支店元営業部長、宮本卓郎の初公判が、仙台地裁であった。宮本は起訴事実を認め「自己保身のために所得を隠してきたことを深く反省している」と述べた。

 起訴状などによると《宮本被告は、鹿島が代表社の共同企業体(JV)で現場所長を務めた際に下請け業者から受け取った謝礼など、合計2億2000万円の所得を申告せず、計約8300万円を脱税した》とされた。

 11月10日、検察側は懲役1年、罰金2500万円を求刑、結審した。判決は12月21日の予定である。

談合の水脈

 スーパーゼネコンと呼ばれる建設会社は、鹿島建設、清水建設、大成建設、大林組、竹中工務店の5社だ。このうち大成建設を除く4社は創業家による経営関与が続いてきた。他の業界では考えられないゼネコン特有の形態である。なぜ創業家か?

 ゼネコンの営業形態が請負(うけおい)の仕事であることに起因している。個人の業績が見えづらく、社内で権力闘争が起きると、もめやすい、こじれる。だから創業家の人間を御輿に担いだほうが、もめごとを抑えられるという判断だ。創業家は重石(おもし)の役割を担っていると言ってもいいだろう。

 もう一つは、請負の仕事につきものの談合だ。談合の歴史は豊臣秀吉の時代に導入された入札制度とほぼ同時期に始まったとされているから、かなり古い。

 高度成長時代の1960年代に入ってから、現代の談合のルールが整備された。この頃は大物の値切り屋の時代だった。

 60年代は大成建設副社長だった木村平が中央談合組織を仕切った。木村の引退後は、鹿島副社長の前田忠次と飛島建設会長の植良祐政(すけまさ)が引き継いだ。

 大成、鹿島には談合の水脈がある。

 木村平が仕切っていた時代に、田中角栄が「3%ルール」を作った。各社にまんべんなく公共工事を配分する見返りに、ダム、道路、鉄道の大型工事では受注額の3%を上納させるという仕組みだ。角栄は植良以外からは直接、上納金を受け取らなかったという伝説が残っている。これで植良の力は盤石となった。

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