視聴率女王「細木数子」はなぜテレビから姿を消したのか

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11月8日が命日

 霊感商法や詐欺へのアシストではないのか、といった批判が根強いにもかかわらず、テレビの占い番組もまた一定の人気を保ち続けている。

 こうした風潮の「立役者」ともいえるのが、細木数子氏である。

 2年前の11月8日、83歳で細木氏は亡くなった。死因は呼吸不全だったという。

 かつて視聴率女王の地位にもいた細木氏とは一体何者だったのか。

 いかにして彼女は登りつめ、そして表舞台から去っていったのか。

(以下は2021年11月15日デイリー新潮記事をもとに再構成したものです)。

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京都に大豪邸

 民放キー局のベテランスタッフは「90年代後半に、京都にある細木さんの自宅に招かれたことがあります」と振り返る。

「秘書の方から連絡をもらった際、『京都のどの辺りなんですか?』と質問しました。すると、『タクシーの運転手に「細木の家」と言えば連れて行ってくれます』との答えでした。半信半疑で新幹線を降り、言われたとおりタクシーの運転手さんに行き先を告げると、『はい分かりました』と本当に連れて行ってくれました」

 嵐山方面に向かう坂道を登ると、嵯峨野の山あいに文字通りの大豪邸が姿を現したという。

 もちろんカーナビもない時代だ。本当に運転手が連れて行ってくれたことにも驚いたが、その料金も印象に残ったという。

「記憶では3000円ぐらいでした。つまり京都駅から、それほど離れていないわけです。京都府内の大邸宅ならまだ理解もできます。しかし駅からタクシーでしばらくという距離で、壮大な住宅が建っているわけです。本当に度肝を抜かれました」(同・スタッフ)

 どのようにして、これほどまでの財を成したのか。細木氏は1938年生まれ。高校を卒業する前後から飲食業に携わっていたとされ、20代で銀座に店を開いたという。

一躍、人気占い師に

 1970年代から80年代にかけて、芸能界との関係など重要な出来事が少なくとも2つ起きている。だが、この問題は後で詳述する。

 82年、細木氏は独自の研究で編み出したとする「六星占術」を発表。85年頃から著作が評判となり、人気占い師として知名度を増していく。担当記者が言う。

「細木さんの人気が絶頂を迎えたのは2004年でしょう。TBS系列で『ズバリ言うわよ!』(04~08年)、フジテレビ系列で『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』(04~08年)が放送されると、高い視聴率を獲得しました」

 前出のスタッフが大豪邸を訪れたのは、テレビ番組に出演していたとはいえ、冠番組で大ブレイクする前夜。そのためか、非常に気配りの行き届いた客あしらいだったという。

「数人でお邪魔したのですが、誰にでも優しい、まさにホスト役という姿が印象に残っています。自宅の大きな庭で大バーベキュー大会となり、最高級の牛肉を細木さん自らが焼いてくれました。当時でもテレビ番組では、厳しい表情を浮かべ、相手を説教する姿が放送されていたと思います。テレビでの姿とのギャップに腰を抜かしたことは、今でも鮮明に憶えています」

 著名な芸能人でも説教したり、改名を迫ったりと、歯に衣着せない物言いが人気を博した。

 その一方で、「地獄に落ちる」などの説教は不穏当だと、BPO(放送倫理・番組向上機構)に抗議が寄せられることも多かった。

TBSとフジがバックアップ

 まさに毀誉褒貶だったが、テレビ局でも番組起用に積極的な局と、消極的な局に分かれた。

「積極的だったのは、実質的な冠番組をゴールデンに放送していたTBSとフジテレビです。一方、消極的だったのは日本テレビとテレビ朝日です。日テレは細木氏がメインの番組は作っていないはずです。テレ朝は過去に特番などを放送したことはありますが、レギュラー番組は制作しませんでした。ちなみにNHKにはスポーツのドキュンメンタリー番組で、朝青龍の熱心な後援者として登場したことがあります」(同・記者)

 前出の番組スタッフは「少なくとも日本テレビさんは、番組制作に関してはNGと指示が出たと聞いています」と明かす。

「普通の番組プロデューサーやディレクターなら、細木さんが墓石販売を巡って霊感商法的なトラブルを起こしており、訴訟になっていることも把握していたと思います。また、銀座のクラブを経営する中、細木さんは様々な人間関係を構築しました。その中には、今でいう反社会的勢力の幹部も含まれていました」

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