大谷翔平の幼なじみ、恩師が明かす原点 異常なほどの負けず嫌い…ピッチングはいまひとつだった?

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 大谷翔平の2021年シーズンが終了した。二刀流として栄光の「記録」と「記憶」を残した一方、チーム事情ゆえの“悲劇”に見舞われた一年でもあった。100年の時を超えてあのベーブ・ルースに迫ることを可能にした、「心技体」の原点とは?

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 秋も深まった10月初めの日曜日。岩手県奥州市水沢――大谷翔平の実家を訪れ、今シーズンの感想を尋ねると、父・徹さんが言う。

「あと1試合ですからね。明日のゲームも観戦しますよ。これで最後なので、今年は怪我無く終えられそう。安心していますよ」

 翌10月4日のマリナーズ戦。父の一念が通じたか、大谷は怪我どころか46本目の本塁打を放ち、100打点目をマーク。有終の美を飾り、今シーズンの日程を終えたのである。

 メジャーリーグに挑戦して4年目。初めて怪我のない一年を終えた大谷。成績の傑出ぶりは言うまでもなく、打者として本塁打数はリーグ3位。打点は3桁で盗塁も26。投手としても9勝を挙げるなど、走・攻・守すべてに亘って大活躍。ベーブ・ルース以来の「2桁本塁打・2桁勝利」達成まで、あと一歩と迫った。

 しかも、である。

「数字以上にその中身はすごいですよ」

 と言うのは、さるメジャーリーグウオッチャー。

「エンゼルスは強打者・トラウトを怪我で欠き、大谷が勝負を避けられるケースが多かった。敬遠も含め、四死球はメジャーでトップクラスです。打数でいえば、本塁打王を獲得したペレスより80打数以上も少ないのに、ホームランは2本差。チームが違えば、タイトルを獲得していたかも。また、投手としても、貧打ゆえ打線の援護がないケースが多く、これもまたチームが違えば15勝はできていた、との声もあります」

 つまり、今年の圧倒的な成績も、弱小チームにいる“悲劇”により抑えられている、といえるのである。

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