「ジャイアンツ大嫌い」発言で戦力外も…クビになっても日本にこだわった“助っ人列伝”

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 ヤクルト時代の2013年にNPB史上最多のシーズン60本塁打を記録したウラディミール・バレンティンが戦力外になり、ソフトバンクを退団した。本人は日本での現役続行を希望しているが、“日本人扱い”の国内FA資格者にもかかわらず、10月15日現在で獲得に動く球団はまだないようだ。

 しかし、過去にも戦力外通告を受けながら、複数の球団に在籍して長年プレーした外国人選手は少なくない。そんな“愛すべき助っ人”をプレイバックしてみよう。

「顔が審判を侮辱している」

 FA制導入後に来日した外国人で初めて国内FA権を取得したのは、2004年に近鉄から巨人に移籍したタフィ・ローズである。1996年から近鉄で8年間プレーしたローズは、巨人移籍1年目の04年に45本塁打を記録し、外国人史上初の両リーグ本塁打王に輝いた。だが、翌年は右肩故障で成績ダウン。「ジャイアンツ大嫌い。みんな下手くそ」という暴言も災いし、11月7日に戦力外通告を受けた。

 帰国後、一度は引退を宣言したローズだったが、「日本で野球をやりたい」と07年3月、オリックスにテスト入団。07年、08年と2年連続40本塁打以上を記録し、08年4月12日の楽天戦で、レロン・リー(ロッテ)が持つ外国人通算最多安打(1579本)を更新した。

 その一方で、主にストライク判定への不満をめぐり、NPB史上最多の退場14回を記録。08年5月17日のロッテ戦では、「顔が審判を侮辱している」という“変な理由”で13回目の退場を宣告されている。

 また、山崎武司と本塁打王を争っていた07年8月26日の楽天戦では、敬遠気味の四球にぶち切れ、野村克也監督を「バカ、バカ」と罵倒。「お前こそバカ」と、ローズに言い返した山崎と論争を繰り広げるなど、無類のトラブルメーカーながら、どこか憎めないキャラでもあった。46歳となった15年には、BCリーグ富山にコーチ兼任で入団。グッズの売り上げでも貢献した。

「日本に骨をうずめたい」

 ローズとは対照的に優等生イメージながら、「アイーン!」「ラミちゃん、ペッ!」などのひょうきんパフォーマンスで人気者になったのが、アレックス・ラミレスだ。

 7年間在籍したヤクルトでは、03年に本塁打王、打点王の二冠を獲得するなど大活躍。巨人でも移籍1年目の08年に打点王、FA権取得後の09年に首位打者、さらに翌年も本塁打王、打点王と数多くのタイトルを獲得した。だが、11年オフ、不安定な守備がネックとなり退団。巨人にFAで移籍した村田修一に代わる主砲を探していたDeNAに、実質的な“交換トレード”のような形で移籍した。

 DeNAでも12年に打率3割と19本塁打を記録し、翌年4月6日のヤクルト戦で、外国人史上初の通算2000本安打を達成したが、その後は拙守が目立ち、打撃不振も追い打ちをかけて7月に、来日後初となる2軍落ち。9月26日に戦力外通告を受けた。日本での現役続行を熱望するラミレスは、BCリーグ群馬に所属しながら、他球団からのオファーを待ったが、話はまとまらず、ついに現役引退となった。

 だが、16年には監督としてDeNAに復帰し、「日本のプロ野球で監督をやってみたい」の夢を実現。17年にはシーズン3位からCSを勝ち抜く“下剋上”を成し遂げ、日本シリーズ出場をはたしたのは、ご存じのとおりだ。14歳年上の夫人と離婚後、15年に日本人女性と再婚。「日本に骨をうずめたい」と口にする親日家は、19年には日本国籍を取得した。

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