高市早苗の後ろ盾は安倍前首相ではなく森喜朗元首相?「勝手補佐官」で強固な師弟関係

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鉄板焼きの4人

《ところが、その夜のニュース番組を見ていると、自民党の若手議員が「森内閣ではダメだ」「森さんには交替してもらうべきだ」と発言しているではありませんか》

《翌日の自民党代議士会で私は発言を求めました。「私たち代議士にとって、首班指名の一票は何より重いものだと思います》

《「投票用紙に自分で『森喜朗』と記入した直後に総理の不適格性を指摘するのは国民に対して無責任だと思います」、「森総理に失政があれば、それも選んだ私達の責任であるから、批判するより全力で支えるべきだと思うこと」などを、皆に訴えました》

 すると、当時の安倍官房副長官から電話があり、《森総理が鉄板焼きをおごって下さる》と連絡があったという。

 駆け付けたのは、下村博文・党政調会長(67)、世耕弘成・党参院幹事長(58)、当時は参議院議員だった山本一太・群馬県知事(63)、そして高市氏の4人だったという。

《私も含めた4人で「勝手に総理を補佐する」ことを決め、総理にお伺いを立てました。「私達これから『勝手補佐官』と名乗らせていただきます。そして官邸の外から勝手にサポートさせていただきます。勝手補佐官の名刺もバッジも作って本格的に活動を開始しますが、よろしゅうございますね?」》

「高市さんは総理」

《酔っぱらって上機嫌の総理が「変な奴らだなあ。まあとにかく頼むよ」と我々のアホな企画に乗って下さったので、この夜めでたく「勝手補佐官」がオーソライズされたのであります》

 だが、森内閣の支持率は低下を続ける。特に2001年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、教師と生徒の9名が死亡するという事故が発生した。

 この際、森首相はゴルフ場におり、事故の報告を受けても、約1時間半の間、プレーを続けた。これが世論の強い反発を呼んだ。

 森内閣は4月26日、低支持率などを理由に内閣総辞職を行った。だが、森氏と高市氏の“師弟関係”が消滅することはなかったようだ。

 毎日新聞の奈良県版は2006年4月、「自民党:森前首相迎え、2区集会――奈良」の記事を掲載した。

「自民県第二選挙区支部の新たな出発を応援する会」が奈良市のホテルで開かれ、05年の衆院選で鞍替え当選した高市氏が「若輩ですが力を合わせて頑張ります。末永くご指導を」と挨拶した。

 この会には森氏が招かれ、「高市さんは、総理になる見識を持った女性政治家」と持ち上げてみせた。

五輪でも師弟関係

 06年9月には第1次安倍内閣が発足。高市氏は「沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション」の特命担当大臣として初入閣を果たした。

「2020年4月、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長だった森さんは、聖火を全国各地で展示する案があることを明かしました。当時、総務相だった高市さんが、『地方創生の一つの事業として何かできないか。総務省として考えたい』と提案されたと説明したのです。未だに2人の“師弟関係”が継続していたことが分かりました」(前出の記者)

註:高市早苗さん:1 代議士(元気人間・猛烈健康日録) 【大阪】(朝日新聞大阪夕刊・1993年10月13日)

デイリー新潮取材班

2021年9月26日掲載

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