夏の甲子園 奥川恭伸は降板で涙…ドラマチックすぎる最終回の“起死回生弾”

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 雨天順延に悩まされながら、球児たちの熱闘が続く夏の甲子園。1回戦の横浜vs.広島新庄では、横浜の1年生・緒方蓮が、0対2とリードされた9回裏2死一、三塁、劇的な逆転サヨナラ3ランを放ち、「あと1人」で敗戦という劣勢を、たったひと振りでひっくり返した。最終回に飛び出したあまりにもドラマチックな起死回生弾。過去にもあった記憶に残る値千金の一発を振り返ってみよう。

ここ一番での“秘密兵器”

 前出の緒方同様、最終回に1年生のひと振りで劇的な逆転勝利を収めたのが、1988年の宇部商である。ベスト8入りをかけた3回戦の東海大甲府戦、1対2とリードされた宇部商は9回表、四球と、エース・木村真樹の二塁打で1死二、三塁と最後の粘りを見せる。

 このチャンスに、玉国光男監督は、背番号12の1年生・宮内洋(元横浜)を代打に送った。「練習では文句なしの4番」という、ここ一番での“秘密兵器”だった。「思い切り振ることだけを考えました」と好球必打に徹した宮内は、1ボールからの2球目をフルスイング。快音を発した打球は、あっと驚く逆転3ランとなってバックスクリーンに突き刺さった。

 代打本塁打は当時大会史上5人目だったが、1年生が記録するのは初めての快挙だ。ヒーローとなった宮内は、「少しはお役に立てたと思います。足が遅いし、代打でしかゲームに出られません。9回は出番があると準備していたんです」と謙虚に振り返った。

 ちなみに、宇部商は、同年の選抜2回戦、中京戦でも、9回1死までパーフェクトに抑えられながら、初安打を記録した直後の奇跡的な逆転2ランで、9分9厘負けていた試合をひっくり返すなど、球史に残る大逆転試合が多く、“ミラクル宇部商”と呼ばれた。

「ゲッツーになるくらいなら」

 これまた“ミラクル”としか言いようのない最終回の大逆転劇を演じたのが、2011年の八幡商だ。2回戦の帝京戦、左腕・渡辺隆太郎の前に、8回までわずか2安打。二塁も踏むことができない八幡商は、0対3とリードされて9回表を迎える。帝京の勝利は確実と思われた。

 だが、八幡商打線は最後の意地を見せ、1死から3連打で満塁と粘る。そして、4番・坪田啓希の併殺コースの遊ゴロを、本塁送球を焦った松本剛(日本ハム)がバウンドを併せ損ねてしまい、1点返してなおも満塁。併殺で試合終了という最悪のシナリオを免れ、一転、“押せ押せムード”になった。

 次打者・遠藤和哉も「ゲッツーになるくらいなら、思い切り三振したほうがいい」と気合を込めてファウルを連発し、フルカウントまで粘る。これに対して、帝京バッテリーは、外角低めの直球でゴロに打ち取る作戦を立てたが、運命の9球目は、制球が乱れて高めに浮いた。「変化球は決まっていなかったから、(四球を避けるため)直球しか来ない」と読んでいた遠藤は、満を持して懐まで呼び込むと、右方向を狙ってしっかりと振り切った。

「打った瞬間入ると思った」という打球は、切れることなく右翼ポール際へ。起死回生の逆転満塁本塁打に、スタンドから地鳴りのようなどよめき、続いて拍手の嵐が沸き起こった。「今までで一番うれしいホームラン」は、地元滋賀県では、新聞の「速報号外」も発行されるほどの“大事件”になった。

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