理研が脱毛、薄毛を克服する「毛髪再生医療」を開発  実用化のタイミング、費用は?

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“記憶”を失くして誕生

「その時には毛幹だけでなく毛根も一緒に無くなるわけですが、毛包は毛母細胞と毛乳頭に繰り返し毛髪を作り出させる力を持っています。つまり、胎児の時に母親から授かった毛髪の器官原基が失われることなく保管され続けている、ということになります」

 毛包の働くさまは、さながら古くなった設備を繰り返しリニューアルして稼働する製造工場のようだ。

「毛包は人体の中でも、生涯にわたって再生能力を失わない唯一の器官です。そこで私たちは器官原基法で毛包を大量に作り出し、それを頭髪が抜け落ちたところに移植すれば、再びフサフサの状態に戻ると考えたわけです」

 最初の実験は12年に行われ、マウスの毛包から取り出した上皮性幹細胞と間葉性幹細胞を使って、器官原基法によって毛包器官原基を再生した。この「毛包原基」を先天的に毛が生えていないヌードマウスの体に移植した。

「その際、数ミリ程度の長さの細いナイロン糸を1本添えました。あらかじめ毛包原基に糸を挿入しておけば、それが毛穴を確保する役目を果たすので、新たに生えてきた毛髪がスムーズに成長できると考えたからです。毛穴を確保しないと、せっかく生えてきた毛が皮膚の下から顔を出せないまま育ってしまいます。それを防ぐための工夫でした」

 移植から21日目になると、ヌードマウスの皮膚から黒っぽい毛髪が生えてきた様子が確認できた。辻氏のチームが「再生毛」と呼ぶその経過も順調で、毛根と表皮をつないで毛髪を立たせる役目を果たす立毛筋や、周囲の神経線維とも接続するなどの正常な生理反応が認められた。

「ナイロン糸はまるで古い毛髪と生え替わるかのごとく、再生毛の成長とともに毛穴から押し出されるように抜け落ちていきました。さらに観察を続けていると、再生毛はマウスの正常な毛周期に従って何度も生え替わりを繰り返すことが確認されました」

 辻氏のチームが歯の再生をヒントに取り組んできた、器官原基法を用いた頭髪の再生医療の実用化に道が拓かれた瞬間だった。

「ただ、この時点では大きな課題が残りました。頭髪や眉毛、産毛など各部位の毛髪は、自身の発生過程のボディプラン(個体が発生するときの設計図)、言い換えれば、自分の毛質や毛周期を記憶しています。ところが培養して増やした間葉性幹細胞に由来する毛乳頭細胞にはその働きがコピーされなかった。つまりは“記憶”を失くした状態で生まれてきてしまったのです」

 正常な毛髪を再生させるには、上皮性幹細胞と間葉性幹細胞由来の毛乳頭、さらに髪の毛に色を付ける色素幹細胞という三つすべての記憶を保たせなくてはならなかったという。

「そこで、それぞれの幹細胞があった場所と同じ環境になる培養液の再現にようやくこぎ着け、それで試したところ、記憶を持った毛包原基を増やすことに成功したのです。しかも、その数は20日間で100倍にまで達しましたから、これで実用化への目途が立ちました。とはいえ、この課題の解消までに7年の月日を費やさざるを得ませんでした」

異なる種類の毛乳頭

 現在、日本の15歳以上の男性の数は約5300万人とされる。そのうちの約3割に相当する1800万人あまりは、男性型脱毛症(AGA)だとみられている。AGAは20代以降に発症するケースが一般的だが、遅い場合は50代から60代になってからというケースも少なくない。

「AGAの症状にはさまざまなパターンがありますが、代表的なのは前頭部と頭頂部の毛が産毛に生え替わって、全体的に頭皮が露出している状態になるもの。サザエさん一家の波平さんが良い例ですね。側頭部や後頭部、襟足付近の毛髪が残りやすいのは、毛乳頭が脱毛を促進する男性ホルモンの影響を受けにくいからです。頭髪の毛乳頭は場所によって種類が異なるんです」

 この特性を逆手に取った治療法が、すでに実施されている「自毛植毛」だ。毛包原基を培養するような手間をかけずに、生え残っている後頭部や側頭部の皮膚を毛包ごと採取して、薄毛が気になる箇所に植え替える方法である。

「生える場所を“引っ越す”だけなら、毛乳頭細胞は自身の記憶を失いませんから、脱毛が進行した場所に移植されても移植前と変わらず成長し続けます。現時点では有効な治療法の一つとされていますが、切除された部分では毛髪は再生しませんので、その切り取られたスペースを目立たなくするため、縫い合わせるなどの必要があります」

 日本人の頭皮には、1平方センチメートル当たり約100本の毛包があるとされる。そのため仮に自毛植毛で1・5センチメートル×10センチメートルの後頭部の皮膚組織を採取しても、約1500本の毛包しか移植はできない。成人男性の頭には、頭頂部だけで約3万本が生えているので、植毛では全体をカバーするには到底数が追いつかない。つまりは、あくまで応急処置に近い位置づけなのだ。

「その点、器官原基法を用いれば、後頭部や側頭部から採取した毛包を大量に培養することが可能。必要な面積に、必要なだけ培養して増やした毛包原基を植えるだけで豊かな頭髪を取り戻すことができるのです。しかも記憶を保持しているので、未来永劫、髪が生え替わり続けるのです」

 辻氏によると、中高年になってもAGAが発症しない人は、後頭部や側頭部型の毛乳頭が頭部全体に分布している場合が多いという。では、その差はどうして生じるのか。

「これを言うと絶望する方がいるかもしれませんが、最大の理由は遺伝です。“頭皮を不衛生にしていると禿げる”といった巷説(こうせつ)もありますが、AGAと頭皮が清潔か不潔かということにほとんど因果関係はありません」

 以前、とあるテレビのバラエティ番組で、頭髪が薄くなってきたという芸人が“治療のために薬を飲み始めたら、2カ月くらいでさらに薄くなって、むしろ脇毛ばかり伸びて、乳首が大きくなった”と嘆いていた。さらに続けて“あの治療薬には男性ホルモンの分泌を抑えるために女性ホルモンが入っている。それで乳首が大きくなった”と笑いを誘っていた。いかにも芸人らしいトークだが、AGA治療薬にはこうした副作用がつきものなのだろうか。

「基本的には薄毛の治療薬が男性ホルモンに影響を与えることはありません。身体の変化が本当なら、たまたま別の要因が重なっただけだと思いますが……」

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