歴史に残る死闘で金メダル 柔道「新井千鶴」の意外すぎる素顔

スポーツ 2021年08月02日

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ブレイクしたのは高校3年の新井

 新井千鶴は「遅咲きの柔道家」だ。小学校一年の時、埼玉県寄居町の男衾(おぶすま)柔道教室で3歳上の兄が柔道をしていたのに着いてゆくうち、やりたくなって始めた。中学でも続けたが全国大会などには縁がなかった。しかし高校で階級を上げてゆくと強くなっていく。畳を走り回るような柔道よりも、じっくりと組み合う正統派の柔道が向いていたのである。高校三年生になって初出場したインターハイで優勝した。

 埼玉県の児玉高校で新井を指導していた柏又洋邦監督は「運動神経がいいように見えるかもしれないが実は全然ダメ。特に苦手なのが球技で、バレーボールをやればボールを見送ってからレシーブを始める」と話している(デイリースポーツ 7月29日付け)。
新井のスポーツは柔道に特化しているようだ。一方、学業成績はトップクラスだったという。

 高校で新井は驚くほど大きく階級を上げてきた。高校入学時は52キロ級、高2で63キロ級 高校3年で70キロ級に変わった。太りにくい体質だが必死に食べる量を増やした。両親や兄が長身で、体が大きくなってゆく要素があった。

 身長は172センチ。顔が小さく手足が長く、日本人離れしたスタイルの良さだ。左組での内股と並んで、子供の頃から身に着けてきた送り足払い、出足払い、ツバメ返しなどの足技が大きな武器だ。タイミングよく足を飛ばしてくるので相手はなかなか前に踏み出せないのだ。

 端正な顔立ちをした聡明な新井千鶴の世界選手権やグランドスラムなどを取材していたが、図書館で本でも読んでいる姿の方が似合うおとなしそうな容貌と、その剛直な柔道にはいつも違和感を持った。今回の準決勝も「最後は三本の指で締め続けていた」というが一体、どこからそんな馬力が出ていたのか。

 「これが欲しかったんです」と報道陣に金メダルを見せた新井。高校2年生の時、課題の川柳で「日の丸のついた道着をいつか着る」と書いていた。新井がメキメキ強くなったのはこの頃からだ。夢のオリンピックでの金メダルは「遅咲き選手」がブレイクした高校3年のインターハイで初優勝してからほぼ十年目だった。

名勝負から宿命のライバルへ

 一方、今回の女子70キロ級では新井に敗れたタイマゾワへの称賛も大きかった。彼女は新井と戦う前も延長戦を戦っていた。その際、右目を負傷し、目の周りが青くなったボクサーのような痛々しい顔で戦い続けていた。「オリンピックで締めて落とされて失神した選手を見たの初めて」「絞められても降参しないなんて、すごい根性」などとSNSなどで称賛が広がっている。ショートヘアの新井と対照的に、時折、ばらける長い髪をゴムで結び直しては、頭の上で高く束ねていた姿が女性らしかった。新井に締め落とされて敗れた後、タイマゾワは3位決定戦でクロアチアの選手と戦ったが、これも延長戦に突入した。

 それでも5分22秒に技ありを奪って勝利し銅メダルに輝いた。結局、タイマゾワはこの日、5試合で40分以上の戦いを演じていたことになる。スタミナも無尽蔵。父や叔父はレスリング選手だった。とりわけ、叔父のアルトゥール・タイマゾフ、フリースタイルのウズベキスタン代表としてシドニー五輪で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得した名選手だった。そんな格闘一家の血を受け継いだタイマゾワは、最近、急速に力をつけて20、21年欧州選手権では連続3位に入賞している。これで新井千鶴とは1勝、1敗。新井千鶴より6歳若いが、パリ五輪へ向けても宿命のライバルになりそうだ。

※ご指摘を受け、タイトル及び本文の表現を一部修正致しました(8月2日)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月2日掲載

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