だから、浅野真澄は“初めての彼”の死を書いた―― 連載中止を乗り越え出版

エンタメ 芸能 2021年7月18日掲載

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 2019年1月、声優・浅野真澄さん(43)は大きな喪失を抱えた。大学時代からの友人が亡くなったのだ。友人は明るい性格で語学に堪能で交友関係も広い人だったが、鬱病を患い、自ら死を選んだ。2020年3月、浅野さんがこの大切な友人の死についてつづったエッセイをnoteで公開すると、大きな話題を呼び、連載も決まった。だが、そこでは意図せぬ騒動も……。

 先月、浅野さんのエッセイは『逝ってしまった君へ』(小学館)として出版された。本では「君」と書かれた友人が浅野さんにとっていかに大事な人だったかが初めて明かされた。「君」は、浅野さんにとって人生の恩人であり、初めての恋人だった。【徳重龍徳/ライター】

大切な恩人の自死

『一騎当千』シリーズや『Go!プリンセスプリキュア』などで声優を演じてきた浅野さんは、「あさのますみ」名義で作家としても活動している。

 今回の著作は「君」宛の手紙の形でつづられているが、その死を知らされた瞬間から、告別式や遺品整理の様子まで、まるでドキュメンタリーを見ているかのように詳細に書かれている。極力、自身の解釈を排除している点は記録映画のようだ。

「どうして亡くなってしまったのか、明確な答えはいつまでたってもわかりません。心の着地点は見つからず、見つけたいがために勝手な解釈が入ってしまう。すると、自分の中で彼が別の人になっていくようで怖かったんです。だから、少しでも記憶が鮮明のうち、写真を撮るみたいにそのときのことを書き残しておきたいと思っていました」(浅野さん、以下同)

 本では遺族の了承のもと、「君」が浅野さんに向けた遺書、彼のメモ、録音データの内容についても語られる。そしてフェアであろうと、これまで語らなかった浅野さん自身の過去も赤裸々につづられている。

 浅野さんの家庭は非常に貧しく、学校で必要な教材も買えず、小学生の頃には洋服が3枚だった。高校生の頃、アルバイトの給料日になると父がやってきて、給料をすべて渡すように言われた。当時は「自分の両親が80歳まで生きたのなら、50代半ばまでこの苦しみは続くのでは」と自分の人生を悲観していたという。

 奨学金を得て大学に進むも、学食代や定期代で手いっぱいで友人からのお茶の誘いは断った。頭の中にはお金の心配が付いて回り、同級生に囲まれても自分が違う世界の人間に感じられた。そんな頃、1つ年上の「君」に出会った。早くに父親を亡くし、自分と同じく貧しかったが、常に明るくポジティブに生きる彼の姿に驚いた。浅野さんは「君」に惹かれていき、いつしか恋人になった。

 大学1年生の頃、浅野さんは一念発起し、一人暮らしをするために授業以外の時間はすべてアルバイトに費やし、8か月間でその資金をためた。しかし両親に一人暮らしの話を切り出すと「弟の進学のためにすべて使わせてほしい」と言われ、貯めた資金をすべて渡さざるを得なくなった。そんな絶望的な状況で、引っ越し代を貸してくれたのも彼だった。

 浅野さんは生活苦から抜け出すため、学生時代にホステスとして働いていたことを今回初めて著書で明かしている。周囲やファンにどう受け止められるのか恐怖心はあったが、「君」のことを書くならばありのまま出すべきだと思った。

「私が水商売をしているのを知っているのは、唯一彼だけでした。親にも友人にも、お客さんにも当然素性は話せません。だから世界中に嘘をついているような感覚で自分が何だか分からなくなる瞬間がありました。そこで迷わないでいられたのは彼がいたから。たった一人、本当のことを全部知ってくれていたから混乱せずに、やっていけました」

 19歳の頃、2人の恋愛は終わったが友人として関係は続き、定期的に連絡し、年に1度は食事をする仲になった。

「彼は保護者のように思ってくれていたのかもしれないです。声優になった後でも『お父さんとの関係は大丈夫?』『お金の面はもう平気?』と心配してくれて。恋愛感情がなくなったら終わりじゃなくて、別の気持ちになって見てくれていました」

 単純な言葉ではとても説明できない、けれど本当に特別な存在だった。だから「君」が亡くなったことは周囲の誰にも話すことはできなかった。

「友達が亡くなったと伝えて、なにかコメントされた瞬間、それがきっかけで感情がバーッとこぼれてしまいそうだった。だけど仕事場で私が突然泣き出したり、何か落ち込んでいたら、みんなびっくりする。彼がどれぐらい私にとって大事な人だったのか説明するのにものすごく時間がかかります。それをフォローすることを全部考えたら言わないのが、一番楽だったんです。だからこの本を読んで初めて当時の気持ちを知る人ばかりだと思います」

 悲しみは浅野さんを突然襲い、夜中に泣き出すこともあった。夫である漫画家の畑健二郎さんにも明かさなかった。

「夫は、私が夜中に起きて号泣しているので横で見ていて心配はしていたと思うんですけれど、私が悲しむままにしておいてくれました。元カレのことで悲しんでいるわけですけれど、そこに野暮なことを言うでもなく」

 浅野さんにとっては人生の転機を与えてくれた人であり、人生の一部といえる人だった。

「当時、私も彼も社会的にも弱者でした。お互いに弱く、明日をも知れないときに、自分の将来を助けてくれた。恩人ですし、今、助けられるのとは違う」

 同じ思いは「君」も抱いていたのだろう。浅野さんに向けた遺書にはこう書いてあった。

『一緒に青春を過ごせて最高だった』

許せなかったnoteの対応

 浅野さんは2020年3月、ブログサービス「note」に『逝ってしまった君へ』との文章を公開した。「君」の死と、自身の思いについてつづった今回の本の原型となるものだ。彼の死から1年経っていたが、心が落ち着いているときもあれば、突発的に涙が出たり、悲しい気持ちに襲われるなど、常に彼のことが頭にあった。

「その頃は自分の頭の中に彼の死をめぐる出来事、彼にまつわる思考が止まらなかった。頭の中の大部分を占めていたので、文字にすることで整理をつけたかった。とにかく外に出さなかったら苦しかったんです」

 この文章は2020年6月「cakesクリエイターコンテスト2020」で入賞し、noteが運営するメディア「cakes」での連載が決まる。浅野さんはここで、「君」の死について改めて書こうと考えていた。連載開始はその年の11月に決まり、1回書き上げるごとに編集者のチェックを受け、12回分の原稿を完成させた。だが10月に事態が一変する。「cakes」が連載していた写真家・幡野広志氏の人生相談記事で、DV被害者の相談に対し「大袈裟」などと言及し、炎上したのだ。

 もちろん、浅野さんの連載とこの炎上とは何も関係がない。だが、炎上から数日後、担当編集者から自死を扱う部分はモラルを問われることがあるので、マイルドに書き直してほしいと連絡があった。

「cakesには、最後まで読めばセンセーションではなく、心が前を向くものにしたいと伝えたんですが、伝わらなかった。文章を全部読んでいるはずですし、それまで編集者とは何度もやり取りし『早く世に出したい』とまで言われていたのですが......」

 リライトをすれば伝えたい部分が消えてしまう。再考を求める浅野さんに対し、cakes編集部からの返答は信じられないものだった。

「これ、フィクションってことにしませんか」

 提案されたとき、目の前が真っ暗になった。フィクションと言われたとき、彼の死を軽んじられる気がし、ショックでその日は眠れなかった。以後、cake側との話は平行線のまま、時間だけが過ぎて行った。

 11月、cakesはまたも炎上する。今度はホームレスを蔑視した記事が原因だった。やはり浅野さんの連載とは無関係にも関わらず、noteの執行役員から、連載をcakesでは掲載できないこと、原稿を一本7000円で買い取ると連絡があった。メールでは伝わらないと、直接話し合いをしたいと浅野さんが求めてもnote側は対面での説明を避け続けた。

「ただcakesの人たちは2度の炎上の理由がよくわかってなかったのだと思います。DVを取り上げた人生相談が炎上したのも、DVを取り上げたからではなく、DVに遭った方を軽んじた内容だったから。ホームレスの記事も同様です。でもDVを取り上げたから、ホームレスを取り上げたから炎上したと思考が止まってしまった。編集部としてのポリシーが確立されていなかったのかもしれません。自殺を取り上げた私の連載は取り消されてしまいましたが、正直、どうすれば回避できたのかいまだにわからないんです」

 浅野さんは12月、「もう書く仕事ができないかもしれない」とリスクを覚悟しながら、それでも批判を覚悟で自身のnoteに一連のnoteの対応を書き、この問題は公に知られることとなった。

 数日後、noteの加藤貞顕社長は一連の騒動に対する謝罪文を掲載したが、具体的に内容が伴わない感情論だとネット上で批判を浴びた。何より浅野さんには何も響かない言葉だった。そして問題本質が分かってなかったという浅野さんの指摘通り、cakesの幡野氏の連載は2021年4月に14歳少女の性暴力・児童虐待の相談に自己責任を説き再び炎上。翌月に連載は終了した。

 一方、浅野さんが連載をcakesに掲載されないことを発表すると、十数社に及ぶ出版社から浅野さんの元に出版したいと声がかかった。中には憧れた出版社からのオファーもあった。cakesやnoteの人間以外にはその価値がわかっていた。

 数あるオファーの中から浅野さんは最終的に小学館での出版を決める。著名作を出している名編集者からの連絡に心を動かされたが、小学館編集者の「有名な編集者の方に負けないぐらい頑張ります」との言葉で決めた。

「思いがある方とやるのが一番幸せだと思いました」

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