作曲家・都倉俊一が明かす小林亜星さんの“逸話” 「正義感が強い愛すべきキャラ」

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「僕よりひと回り以上も年上の大先輩。同じ作曲家として、ずいぶん可愛がってもらいましたねぇ」

 去る5月30日、作曲家の小林亜星が心不全で死去した(享年88)。同じ昭和期に同業者として誼(よしみ)を結んだ都倉俊一氏(73)が、思い出を語った。

「面倒見の良い方で、飲んだり食べたりという席には何度もご一緒させて頂きました。僕が30代で、小林さんは40代だったかな。大いに飲んで、大いに食べる。豪快な方でしたね」

 当時から大きなお腹が特徴的だったそうで、

「ある時、何かの折に小林さんの知人の医者が“一度でいいからお腹の脂肪を取らせてもらえませんか?”なんて、本人に聞いていたこともありました。あの頃から貫禄がありましたよ」

 小林の作曲家デビューは、日本が高度経済成長期の真っ只中にあった昭和36年。29歳の時に作詞と作曲を手がけた、アパレルメーカー「レナウン」のCMソング「ワンサカ娘」だった。

「あの巨体から誤解されがちですけど、実はかなり器用な人でね。CMソングは僕もずいぶん作ったけど、15秒とか30秒という短い時間に、クライアントが求めるメッセージをキャッチーなコピーと音楽で表現しなくちゃいけない。その点、小林さんの発想や閃きは独創的。“オシャレで/シックな/レナウン娘が/わんさか/わんさか/わんさか/わんさか”から“イェーイ/イェーイ/イェイ/イェーイ!”とノリのいいメロディーが続くんです。斬新な心の掴み方っていうのかな。職人的なヒットメーカーでしたね」

リアル寺内貫太郎

 小林が生涯に手がけた楽曲は数千に達するとされる。昭和51年に都はるみ(73)に日本レコード大賞をもたらした「北の宿から」のほか、人気幼児番組で使われた「ピンポンパン体操」、子どもたちに絶大な人気を誇ったアニメ「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」の主題歌に至るまで、広く親しまれた作品は少なくない。

「いまもテレビで流れていますから、♪この木何の木~で始まる日立グループのCMソング『日立の樹』を知らない人はいないでしょう。あの曲は先に歌詞ができて、後から小林さんが曲をつけたと聞きました。どこか童謡を思わせる綺麗なメロディーには、つい耳を傾けてしまう。演歌でもアニメソングでもそうですが、小林さんの作品には聴く人を念頭においた、繊細な心遣いが上手に表現されていると思うんです」

 昭和49年にはテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で、初出演ながら主演を果たした。下町の頑固親父役は人気を呼び、31・3%という驚異的な平均視聴率を記録。一躍、国民的番組と評されるまでになった。

「ああ見えて、表舞台に出るのは好きだったんでしょう。親しく付き合っていた久世光彦さん(故人)の演出も素晴らしかったけど、気が短くてすぐに手が出る下町の頑固オヤジという役どころは、地でやっていたような気もしますね」

 素の小林は直情径行型とも言える激しい性格だったという。平成6年の日本音楽著作権協会(JASRAC)を舞台にした、古賀政男音楽文化振興財団への不正融資疑惑でのことだ。文部官僚をも巻き込んだ不透明な経理処理に憤った小林は、仲間とともに抗議のためにJASRAC本部に乗り込んだ。その後、コトの次第と真相究明を訴える記者会見を開いたが、怒りに声と体を震わせる姿をご記憶の方もいるだろう。

「仲間内に“リアル寺内貫太郎だ”って言う人もいたくらい。正義感が強い上に割と単純なので、思いこんだらそれで突っ走っちゃう。愛すべきキャラですけど」

 大きな体躯で数々の名曲と逸話を遺した、文字通りの“巨星”が逝った。

週刊新潮 2021年6月24日号掲載

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