九州の星「博多華丸・大吉」が東京で成功したシンプルな理由

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 東北出身のお笑い界の星がサンドウィッチマンなら、九州出身の星は博多華丸・大吉に違いない。デビューから31年目。人気も実力もトップクラスであることは誰もが認めるだろう。お笑い界以外にも活躍の場を広げている。華丸(51)と大吉(50)の軌跡を辿り、成功の理由を探る。

 大吉は昨年、MCを務める情報番組「あさイチ」(NHK)やホスト役の1人を務めるトークバラエティー「二軒目どうする?~ツマミのハナシ~」(テレビ東京)など548本のテレビ番組に出演した。その数はバナナマンの設楽統(48)の521本を抑え、トップだった(ニホンモニター調べ)。

 華丸も424本の番組に出て8位(同)。同じく「あさイチ」やバラエティーのほか、連続ドラマ「真夏の少年」(テレビ朝日)に役者として登場した。現在もNHK大河ドラマ「青天を衝け」で西郷隆盛役を演じているのはご存じの通りである。

 華丸の西郷は評判がいい。5月23日放送の第15話で初登場すると、SNSはほぼ賞賛一色になった。大河では過去に西田敏行(73)や高橋克実(60)、鈴木亮平(38)らが西郷を演じたが、華丸はプロに見劣りせぬ演技を見せている。

 華丸版の西郷は精悍な顔つきで目がぎょろり。多くの日本人が抱いている実際の西郷像と重なる。似ているだけではない。力強い話し方や雄々しい動きで西郷のたくましさを体現した。また6月6日放送の第17話では一橋慶喜(草なぎ剛、46)を見下すような不敵な一面も巧みに表現した。

 初登場翌日の5月24日、「あさイチ」で一緒にMCを務める鈴木奈穂子アナウンサー(39)から演技を讃えられると、「(演じたのは)双子の兄です」としきりに照れた。

 人気を奪い合うお笑い界にいながら、華丸も大吉も謙虚なのだ。ガツガツしたところがない。これは好感度ナンバー1のサンドウィッチマンとの共通点だろう。

 正統派のお笑いであるところもサンドと一緒。2014年、漫才日本一決定戦と銘打たれた「THE MANZAI」(フジテレビ)で華丸・大吉が優勝した際には、大会最高顧問のビートたけし(74)も舌を巻いた。

「老舗の有名店の味を出された感じで、恐れ入りました」(たけし)

 全国区の人気を得るまでが長かったところもサンドと同じ。サンドは1998年のコンビ結成から2007年のM-1グランプリ獲得までに9年かかった。華丸・大吉はもっと長い。コンビ結成は同期で福岡大(福岡市)に入学し、落語研究会に所属した1990年だが、「THE MAZAI」での優勝までには実に24年を要した。

「2005年に拠点を東京に移すまでの約15年、僕らはずっと福岡で仕事をしていました。(地元局での)レギュラー番組もあって“小忙しい”状態にある一方で、同期のカンニング竹山や、後輩のヒロシが先に東京でブレイクした時には焦りましたね」(華丸、*1)

 華丸・大吉は大学2年時に、福岡に進出したばかりの吉本のオーディションを受けた。一緒に受けていたのが竹山だった。優勝したのは竹山。華丸・大吉は入選すらせず、大学に戻る。
「『やっぱり無理ばい。俺たちには……』って」(華丸*2)

 不合格を粛々と受け止めた。やはりガツガツしていない。
 ところが、ここから運命が急変する。当時の吉本は福岡に進出したばかりで、公演をやるには人数が足りなかった。華丸・大吉は繰り上げ合格のような形で吉本に迎えられることになった。

35歳の再スタート

 その後は順風満帆。デビュー3年目の1992年には地元テレビ局でレギュラー番組を持つ。ラジオのレギュラー番組もあった。欲のない2人は十分満足だったようだ。一方、竹山はわずか1年で福岡吉本を辞め、上京した。野心を抱いていた。

 当時の華丸・大吉に上京志向がなかった背景には吉本スタッフの言葉もあった。博多弁では東京での成功は難しいと言われたのだ。事実、博多弁の漫才が全国区になったことは華丸・大吉の登場までなかった。上京後の竹山も標準語を使っていた。

 竹山は雌伏期間が長かったものの、2004年に「エンタの神様」(日本テレビ)に登場する。以後、徐々に活躍の場を広げた。これに華丸・大吉は刺激を受けた。時を置かず今度は吉本福岡で6期下のヒロシもブレイクした。

「竹山はまだ東京の言葉使いだったし、同期やからまだ許せた。でもヒロシは許せません(笑)! いや、嫌いとかじゃなくて、博多弁が全国でウケるのを目の当たりにして、これはエライこっちゃ! と」(華丸*3)

 これで2人にも火が付いた。拠点を東京に移す。ともに35歳の再スタートだった。けれど、やっぱりガツガツしていなかった。東京の人気番組に出て、博多の人たちが喜んでくれたら、すぐ福岡に帰ろうと考えていたのだ。腕試し気分のような上京だった。

 ところが、その腕が瞬く間に高く買われ、帰れなくなる。きっかけは華丸の故・児玉清さんのモノマネだった。

「大事な、大事な、アタックチャンス!」

 誰もが知っていながら、誰もマネしたことのないフレーズだった。声色も仕草も似ていたが、なにより着眼点が良かった。華丸が脚光を浴びることによって、自然と大吉も注目された。

 こうなると、全国区の売れっ子になるまでは早かった。福岡時代の15年で話芸は完成されていたからだ

 華丸がボケ役で大吉がツッコミとネタ作りを担当。時事ネタをよく採り入れる。

 2020年12月6日に放送された「THE MANZAI」(フジ)では、こんな掛け合いで笑わせた。

大吉「去年の今から考えてみたら、信じられない世の中になりましたね。客席を見てもこんなに間隔を空けて、みんなマスク付けているし。信じられないですよ」
華丸「もっと信じられないことがありますよ」
大吉「なに、なに」
華丸「本当に岡村(隆史)君は結婚したのか」
大吉「なんで」
華丸「証拠がない」
大吉「証拠? ラジオで発表しましたよね。自分で。30代の一般女性と入籍しましたと」
華丸「自分で言ってますよね。何とでも言える」

 これも着眼点が抜群。一応は筋が通っている華丸のボケと、飄々とした大吉のツッコミも絶妙。たけしが認めるはずである。

 大吉が2016年と2017年の「M-1グランプリ」(テレビ朝日系)の審査員を務めながら、それ以降は固辞しているのはつとに知られる。その理由をラジオでこう説明した。大阪出身の中川家・礼二(49)も審査員だから、自分より関東の人間がいたほうが、バランスが取れる、と。

 さらに大吉は、礼二と自分は吉本に所属し、同じ舞台に立っているので、笑いの方向性が似ていると語った。その意味でも自分ではない人間が審査員になったほうがバランスが良いと説いた。

 筋の通ったフェアな考え方だった。自分の損得より全体の利益を優先した。やはりガツガツしていない。

 華丸も自慢や自己主張をしない。例えば役者としての評価が急上昇しているが、そもそも西島秀俊(50)が主演したNHKドラマ「ジャッジII~島の裁判官奮闘記」(2007年)で、子煩悩な漁師を好演し、早々と高い評価を得ていたのだ。けれど、それを口にしない。

 これからも華丸・大吉は謙虚で、お笑い界制覇などの野望を持つことはないだろう。なにしろ2人の共通する目標は「現状維持」(*4)なのだ。

 ここまでは無欲の勝利だった。サンドの成功と併せて考えると、人を押し退けるような芸風や個性がお笑い芸人に望まれる時代は終わったのだろう。

*1「婦人公論」2015年3月10日
*2「BIGtomorrow」2013年8月
*3 同
*4「ENT!」2015年3月

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年6月11日掲載

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