「加山雄三」が明かす闘病生活 脳出血から復活…「会話は難儀するのに歌声は昔のママ」

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AIは自分の分身

 かく言う俺にしたって、40日間も寝込んだら筋力が衰えるし、寝たきりになるリスクもあったわけです。それを避けるため、入院中はトレーニングルームで鍛えて、いまも散歩を日課にしている。まぁ、まだ「ゆうゆう散歩」とまではいかないね。昔は趣味でいろいろなスポーツをしていたし、「ゆうゆう散歩」の頃は1日に1万歩以上も歩いていたけど、ここ最近はやる気を奮い立たせて運動している感じだよ。事務所のスタッフと一緒に毎日、1キロ程度は歩いてます。

 あとは、カミさんの協力が大きいね。内助の功というのは本当でさ、自分ひとりでうまく歩けない頃は、彼女が「一緒に行きましょうよ」と率先して散歩に付き添ってくれたんです。カミさんが、1年の半分を娘の住んでいるアメリカで暮らしていた頃は、“卒婚”だ“別居”だなんて騒がれたものだけど、そんなこと全くありません。

 いまは夫婦一緒に暮らしているし、何があっても仲良くふたりで生きていこうと話してますよ。彼女はいつも冷静で、公平さを忘れないから頼りにしてる。まぁ、体調が回復してからは、散歩に誘っても「ひとりで行きなさい」ってピシャリと言われるけどね(笑)。

 今回の病気を巡って、もうひとつ運命を感じたことがあります。

 実は、病気で倒れる前に、自分の声を録音し、AI(人工知能)を使ってデジタル音声として再現する試みを進めていたんです。もともとは「仕事が忙しすぎるから自分の分身がほしいな」と考えたのがきっかけ。ちょうどAIを使った音声の合成技術が進化していたこともあって、“声”であれば分身を作れるな、と。そこで、事務所のスタッフと一緒に試行錯誤していた。

 そうやって作り上げたAI音声を、故郷の茅ヶ崎市が活用してくれたんですね。そして、今月5日からAIで再現した“加山雄三”のデジタル音声が、市役所や病院、商店街のアナウンスに使われることになりました。もし、それぞれのアナウンス原稿を読むとなったら大変な仕事量だし、まだ滑舌も本調子じゃないからとても対応できなかった。音声データを残しておいたからこそ、この企画が実現できたわけです。

「第1号」がポリシー

 実際に聴いてみても、「へぇ~、こいつは凄いな」という感じだったよ。何しろ、自分はひと言も喋ってないのに、「5時30分になりましたら、速やかに退庁しましょう」というセリフが、流暢な音声になって流れてくるんだから。どんな内容の文章でも、自分の声で淀みなく読んでくれる。

 茅ヶ崎は駅前の商店街を「雄三通り」と名付けたり、とにかく地域をあげて一生懸命に応援してくれています。その心遣いが何よりもうれしいよね。ネット上では、「こんな企画に税金を使うなんて」という声もあるようだけど、それは勘違いで、そもそも、すべてこちらで作り上げたものを渡しているんです。故郷に恩返しをしたいという純粋な気持ちが伝わるといいな。

 実際に取り組んでみて感じたのは、AIにはまだいろいろな可能性があるということだった。それこそ、医療や介護の現場でも活用できるんじゃないかな。俺の場合は、有難いことに声を取り戻しつつあるけれど、病気で自由に喋れなくなる患者さんもいるはずです。そんなとき、同じように声を録音しておけば、AIを通じて自分の声で意思疎通ができるかもしれない。

 いずれにせよ、生前に声を録音してAIで再現する歌手なんて世界初だと思う。やっぱり世の中の誰もやっていないことに挑戦するのが大好きなんだよ。ハワイスタイルのサーフィンをしたのも日本では俺がはじめてだと思う。まだ芸能界入りする前の高校時代に、見よう見真似でサーフボードを自作して、海で遊んでいたら、新聞に〈ハワイ式波乗り日本第1号〉と写真入りで報じられた。何事につけても“第1号”を目指すのは、いまも変わらないポリシーだね。

 最近はAIという言葉が独り歩きして、人間の領域を脅かすんじゃないかと心配する声もあるでしょう。でも、そんなことは杞憂でしかない。何しろ、AIは“心配する”という感覚自体を理解できないんだから。不安になったり、やきもきしたり、悲しくなるのは人間だけ。歌を作るにしても、大事なのはそういった感情の機微に触れる表現なんだ。それはAIには決してマネできない。

 生まれながらにAIを超越した存在なんだから、人間はもっと自信を持っていいんだよ。

まだ“これから”がある

 いまは“人生100年時代”だから、少なくとも、あと10年は現役で頑張りたいと思います。

 今回、小脳出血で倒れてみて、健康についてはより一層気を配るようになったしね。タバコは52歳でキッパリやめている。まだ存命だった親父から「俺は禁煙できなかったのに、よくやめられたな」と言われたことを思い出すよ。酒も還暦を過ぎた頃から飲まなくなった。

 この年齢で脳の病気を患って、それでも元気に仕事をしているのは奇跡に近いと感じる。でも、そのためには、自分の体調の良し悪しをきちんと把握しておかないといけない。

 加えて、気持ちの在り様も大切だと思うな。

 マイナス面ばかりを考えて、落ち込んでいたら何も始まらない。だからこそ、何が起きても物事をプラスに捉える。たとえ深刻な事態に直面しても、いまできることは何か、何をすべきかだけを真剣に突きつめる。

 今回、小脳出血で倒れたショックは大きかったけれど、それでも、自分の人生にとってプラスにしたかった。そのために、なぜ小脳出血で倒れなければならなかったのか、自分の落ち度はどこにあるのかを客観的に分析してみた。そうするうちに死への恐怖感が薄れて、生きる活力が湧き起こってくるんだ。

 リハビリにしても、決して諦めないことが一番大事。

 やる気を奮い立たせて、少しでも可能性があるのなら、絶対に治してやるという意気込みで頑張る。結局、自分の健康を取り戻すには自分が努力する以外にありません。俺にしたってあと10年は現役で頑張ると決めている以上、諦めている場合じゃないんです。

 84歳になっても気持ちが一向に老け込まないのは、事務所の若いスタッフに囲まれているせいもあるでしょうね。うちのスタッフの平均年齢は30代で、子どもどころか、孫に近いスタッフもいるくらい。彼らからは全く気を遣われないよ。何しろ、敬老の精神ってものがないからね(笑)。でも、それくらいがちょうどいいんですよ。一緒に仕事をしていても年齢を意識することはないし、友達のような感覚で付き合っているから、AIの合成音声や、若手ミュージシャンとのコラボレーションみたいに柔軟な発想に触れることができる。

 新曲も発表したし、体調も回復してきたから、今後はコンサートを再開していきたいね。実際にオファーも幾つか来ているけど、まぁ、新型コロナの影響で以前のようにはいきそうもない。でも、そこで立ち止まってる場合ではないでしょう。千人規模のコンサートが難しければ、500人限定で会場を手配したり、ネット配信で新曲のプロモーションを考える必要もある。いまは若いスタッフたちと次の一手を考えているところです。面白くなるのはこれからだよ。

 まぁ、この歳になっても“これから”があるってのは、つくづく「幸せだなぁ」と感じるね。

加山雄三(かやまゆうぞう)
1937年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学卒業後、60年に東宝入社。61年、若大将シリーズ第1弾「大学の若大将」に主演する。「君といつまでも」をはじめ、ミュージシャンとしてもヒット作多数。4月11日に新曲「紅いバラの花」を発売。

週刊新潮 2021年4月29日号掲載

特集「小脳出血から復帰 84歳の若大将『加山雄三』が明かす『闘病生活』と『AI挑戦』」より

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