追悼・橋田壽賀子さん 大河「春日局」を書きながら夫の看病を続けた献身愛

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

「おしん」(NHK)、「渡る世間は鬼ばかり」(以下「渡鬼」、TBS)などドラマ史に残る名作の数々を書いた脚本家の橋田壽賀子さんが4日、急性リンパ腫で逝去した。95歳だった。昨年、脚本家として初めて文化勲章を受賞する偉業を成し遂げたが、素顔はやさしく、かわいらしい一面もある人だった。

 連続テレビ小説「おしん」(1983年)の最高視聴率は62・9%。大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年)は同36・8%。1990年に始まった「渡鬼」は同34・2%(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)。高視聴率ドラマを挙げ始めたらキリがない。多くの人に愛される作品が書ける人だった。

 橋田さんと初めて顔を合わせたのは1995年2月10日。場所はNHK局内にある放送記者クラブ。筆者が書き、2月7日付のスポーツニッポン新聞1面に掲載された「安田成美、連続テレビ小説『春よ、来い』降板」という記事を受け、脚本を担当した橋田さんが会見に臨んだのだ。

 この朝ドラは橋田さんの自伝的作品。だが、安田ら一部出演陣は橋田さんの作品になじめなかった。安田たちが橋田ファミリーではなかったことも影響した。

 普段の橋田さんは執筆が早いことで知られるが、自伝的ということもあって、この作品に限っては執筆が遅れ気味だった。これも安田の降板する一因になった。

 橋田さんは会見の前半で「降板理由は、私の脚本を気に入らなかったことに尽きると思います。私の責任です」と静かに語った。大人の対応だった。そもそも役者を責めるような人ではない。

 ところが、長引く会見に苛立ったのか、弾みで「脚本家に文句を言う俳優がいるのにびっくりした。突然、犬に噛まれたみたいな気持ち」と口にしてしまう。

 その場にいたら、誰もが失言と分かる流れだったが、一部の社が記事にした。これにより、橋田さんは高圧的だとか、安田に激怒しているとか伝えられたが、何とも思っていなかったというのが真相だろう。

 事実、橋田さんは2019年5月31日付の日本経済新聞「私の履歴書」でこの一件に触れたものの、安田の降板理由については「その理由を私はよく知らない」で片付けている。安田に圧力をかけたこともない。やはり大人だし、役者を傷つけるような人ではなかった。

恋わずらいで欠けなくなったことも

 「渡鬼」に岡倉節子役で出演していた故・山岡久乃さんが第3シリーズ(1997年)で降板すると、酷く落胆した。長い付き合いで、節子は主要キャストなのだから、当然のことだった。その上、山岡さんが「渡鬼」に不満を抱いているから降りたなどとも報じられた。

 だが、本当の降板理由は病気だった。のちに胆管ガンに冒されていたことも判明した。周囲を心配させぬよう、山岡さんはそれを隠していたのだ。山岡さんの病を知った橋田さんは回復を祈念し、すぐさま住んでいる熱海市内の神社でお百度を踏んだ。情けの人でもあった。

 時間が前後するが、1966年にTBSの仕事をしている時には突然、脚本が書けなくなった。「渡鬼」のプロデューサーで当時から盟友だった石井ふく子さん(94)が心配して事情を聞くと、恋わずらいだった。同局のドラマプロデューサーだった故・岩崎嘉一さんを好きになったのだ。橋田さんが41歳の時だった。

 その後、石井さんがキューピッド役を買って出て、岩崎さんに橋田さんの思いを伝えた。やがて2人は相思相愛の仲になり、同年結ばれた。

 ずっと岩崎さん一筋だった。だが、仲が良いとはいえ、時にはケンカもする。そのたび、真夜中であろうが、石井ふく子さんが家に呼び出され、仲裁をさせられた。橋田さんとしては大好きな岩崎さんといつまでも言い争いたくなかったのだろう。橋田さんと石井さんは長く同じマンションに住んでいたのだ。

 TBSを退職して間もない岩崎さんが1988年に肺腺ガンと分かると、本人が知ったら自殺するのではないかと心配し、医師に「本人には告知しないでください。お願いします」と頭を下げ続けた。医師は橋田さんの願いを受け入れ、岩崎さんにはずっと肋膜炎と伝え続けた。

 その後、2人は熱海市に移り住んだが、これも岩崎さんのため。岩崎さんの体に良いだろうと考え、保養地の熱海自然郷に居を構えた。1989年の大河「春日局」を書きながらの看病となった。

 だが、同年に死別。一人っ子で子供のいない橋田さんは「唯一の家族を失った」と憔悴した。その悲しみを乗り越えて書いたのが1990年から始まった家族の物語「渡鬼」である。

 1992年には橋田文化財団を設立し、「橋田賞」を設けた。財団の基金は岩崎さんの遺産と自分の著作権収入だった。授賞式は5月10日に行われるが、この日は岩崎さんとの結婚記念日で橋田さんの誕生日である。どこまでも岩崎さんだった。

 同賞の選考基準は「日本人の心や人と人とのふれあいを温かく取り上げてきた番組と人」。今ではテレビ界で一、二を争う権威ある賞となっている。

 晩年の橋田さんはというと、やや弱気になっていた。石井さんに対して「最近のドラマは分からない」と嘆き、引退までほのめかしていた。だが、その言葉を石井さんがはねのけ、激励していた。

 遺作は「渡鬼」の2019年の3時間スペシャル。毎年1本のペースで制作され、昨年も作られる予定だったが、新型コロナ禍によって流れた。

 約30年続いた「渡鬼」はもう見られない。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月7日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。