「天国と地獄」「俺の家の話」「にじいろカルテ」…1月ドラマ、ヒット作の共通点は ?

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 間もなく4月期ドラマが始まるが、いまだ1月期ドラマの余韻が残る。いつになくヒット作が多かった。

 この1月期にヒットしたドラマには共通点がある。テーマに「犠牲心」が織り込まれていた。もっとも、脚本家やスタッフが「犠牲心を盛り込めば当たる」などと姑息に考えたわけではない。そこまで計算するのは無理だ。

 どの局のドラマ関係者もみんな同じ時代を生きているので、描くテーマや発想はどうしても似通う。過去の分かりやすい例はトレンディドラマだ。バブル期に各局が大量に制作した。各局が申し合わせたわけでもないのにトレンディドラマばかりになった。

 1月期のヒット作の場合、それぞれのドラマには複数のテーマが込められていたものの、犠牲心が含まれていたという点では一致するのである。

 最も犠牲心というテーマが色濃かったのは「天国と地獄〜サイコな2人〜」(TBS)。日高(高橋一生、40)が二卵性双生児の兄・東(迫田孝也、43)による3人連続殺害の罪を被ろうとしたのはご記憶の通り。犠牲心にほかならない。

 最終回の日高は「3人とも自分が殺しました」と強弁した。たった15分先に生まれだけで、何一つ良いことがないまま死んでいった兄のため、身代わりになろうとしたのである。

 日高の犠牲心は警視庁刑事・望月彩子(綾瀬はるか、36)を守るためでもあった。自分と魂が入れ替わったことにより、失職しかねない数々の行為におよばせてしまったからである。

 その彩子も物語の後半で犠牲心の人に。前半は手柄第一のエゴイストで、同居人で便利屋の陸(柄本佑、34)から「彩子ちゃんは基本、自分のことだけ」(第9話)と評されたほどだったが、日高と入れ替わったことにより成長した。同じ第9話では日高と東を会わせようと奔走する。

 陸はずっと犠牲心の人。見返りを期待せず、彩子のために尽くした。だが、彩子への無償の思いが愛情に変わってしまう。それによって日高への嫉妬が生じ、彼の無実を証明するSDカードを一時的に隠してしまう。それを恥じ、彩子の前から姿を消す。真っ直ぐな男性だっただけに、自分の行いを悔い、彩子にふさわしくないと思ったのだろう。

 姿を消す前の陸は、東の遺体に向かって「師匠(東)も最低だったけど、俺もなかなか最低かも」と語り掛けた。SDカードのことである。大好きな彩子から離れたのは自分への重い罰だ。陸は大きな犠牲を払った。

「俺の家の話」(TBS)の主人公・寿一(長瀬智也、42)は犠牲心の塊のような男だった。抱腹絶倒の物語だったため、ずっと見過ごしてしまったが、最終回で気づかされた。

 最終回で寿一はこう言った。

「俺は、俺の家が大丈夫なら、大丈夫なんで」

 自分より、家族のこと。ずっとそうだったのだ。趣味はなく、うまいものを食べにいくようなこともなく、父親・寿三郎(西田敏行、73)や息子・秀生(羽村仁成、13)のために生きていた。

 一度は引退したプロレスを再開したのも、福島県のスパリゾートハワイアンズへの家族旅行の資金を作るためだった。家族旅行をあきらめ、復帰しなかったら、リング上での事故死もなかったのである。

 家族の幸福を願っていた寿一が死ぬと、それは実現する。寿一が亡くなったことで彼と結婚を約束していた介護ヘルパーのさくら(戸田恵梨香、32)は弟の踊介(永山絢斗、32)と結ばれる。踊介はそれを熱望していた。

 寿一が継ぐはずだった二十八世観山流宗家は、異母弟・寿限無(桐谷健太、41)が襲名。寿限無も二十八世になりたがっていた。みんなうまくいった。寿一はすべてを失い、それを家族に分け与えたのである。

「天国と地獄」と「俺の家の話」はバブル期だったらウケなかったはず。あの時代を知る人ならお分かりの通り、地道に生きる人間は鼻で笑われるような風潮が強く、「誰かのために」などと言おうものなら、訝しい顔をされかねなかったからである。

 その後の失われた20年で浮かれたドラマは消えたが、それでも犠牲心はここまでは描かれなかった。なぜ、犠牲心がキーワードになっているのかというと、背景にあるのはコロナ禍だろう。

 なんでもかんでもコロナと関連付けるのは良くないが、視聴者は自分の生理状態に合ったドラマを見る。その視聴者は例外なく犠牲を払わされている。会社も学校もリモートで、飲みには行けず友人にも自由に会えない。戦争を除くと、ここまで犠牲が求められた時代はない。

 犠牲を強いられているのはドラマの作り手も同じ。その上、昨年は制作が約3カ月止まった。今も不自由を強いられている。このため、作り手は深層心理下で犠牲心を意識している。

 見る側も同じ。知らず知らずのうちに自分の犠牲とドラマの登場人物たちの犠牲を重ね合わせているのではないか。また、現在の社会は医療関係者や自粛に応じる飲食店関係者らの犠牲心によって成立している。犠牲心が今ほど尊いと思われている時代もないはず。ドラマ内の犠牲心が受け止められやすい。

 2011年、「家政婦のミタ」が社会現象化した。最終回の視聴率は40・0%に達した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。愛する家族を失い、抜け殻のようになった主人公・ミタ(松嶋菜々子、47)が再生する過程が描かれた。

 大ヒットの背景には放送の約半年前に起きた東日本大震災があるというのが定説だ。死者・行方不明者は2万2000人余。身内や知り合いを亡くした人以外もショックが収まっていなかった。大勢の同胞が被害に遭ったのだから当たり前である。当時、みんなミタだったのだ。

 ドラマ関係者なら誰もが認めるに違いないが、ヒットするドラマは例外なく時代に合っている。

 「にじいろカルテ」(テレビ朝日)もまさに犠牲心。主人公の内科医・紅野真空(高畑充希、29)は多発性筋炎を患い、都内の病院を厄介払いされる。もう雇ってくれる病院はないかもしれないと真空は怯えた。奨学金を返せなくなし、生活できなくなる。

 このドラマを「おとぎ話」などと笑った人もいるが、それは違うだろう。重い病気に罹った医師の辛苦は隠れた社会問題である。たちまち職を失ってしまう。ニュースやドキュメンタリーはほとんど扱わないが、深刻な問題だ。一般家庭に生まれた若い医師の経済問題もそう。元気に働けているうちはいいが、倒れたら生活費が得られない上に奨学金返済も出来なくなる。

 切羽詰まった真空を迎え入れたのが虹ノ村診療所だった。病を隠して勤めたものの、それを告白しても外科医の朔(井浦新、46)や看護師の太陽(北村匠海、23)は仲間と認めてくれた。真空が倒れようが、それを支える覚悟を決めたわけであり、2人の犠牲心だった。

 事実、真空は最終回で倒れたが、2人は支えた。逃げなかった。その後、真空は治療を終え、診療所に帰ってきた。

 「監察医 朝顔」(フジテレビ)は主人公・朝顔(上野樹里、34)の父親・平(時任三郎、63)の犠牲心が胸を締め付けた。敏腕刑事なのに出世は望まず、同僚や後輩に惜しむことなく力を貸した。

 時間が空くと、東日本大震災で行方不明になった妻の里子(石田ひかり、48)を探し歩いた。この人も趣味はなく、孫のつぐみ(加藤柚凪、5)と遊ぶことくらいしか楽しみはなかった。だが、認知症を患ったのはご存じの通りである。身近で起こり得ることとはいえ、切なかった。

 さて、4月期はどんなドラマが人気を得るのだろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月3日掲載

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