キートン山田さん引退 「まる子」だけじゃない…50年の声優生活で学んだ“仕事術”

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『ちびまる子』と31年、いま引退を決めたわけ

 日曜日夕方に放送される『ちびまる子ちゃん』(フジ系)といえば、誰でもお馴染みのTVアニメである。時にはコミカルに、時にはシビアに突っ込みをいれる独特の味わいのナレーターが、番組を盛り上げている。

 このナレーター役を務めるキートン山田さん(75)が、昨年、21年3月末をもって声優・ナレーターの仕事から引退すると発表し、話題となった。キートン山田さんといえば、70年代から数々の人気アニメの主役をはじめ多くの役柄をこなし、またバラエティ番組・情報番組のナレーションもこなす声優業界の重鎮だ。

 なぜいま引退を決めたのか、そして70年代の声優の仕事から、ナレーションの仕事まで。その時なにを思い、考えたのかを伺った。

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――誰もが気になっていることからお願いします。なぜこのタイミングで声優のお仕事から引退を決められたのですか?

 皆さんそうおっしゃるのですが、自分の最後をいつにしようかは10年ぐらい前から考えていたことです。そこで75歳引退を想定しました。65歳の時には同級生は全員引退して、一人残ってね。「お前いつまでやるんだ」「一生やれていいな」と言われました。とはいえその時は、まだタイミングはなかったですね。考えて、考えて75歳。『ちびまる子ちゃん』も30年過ぎましたし(※1990年1月7日放送開始)。僕が北海道から東京に出てきたのが前回の東京オリンピックの年(1964年)ですから、今回もオリンピックがあって区切りがいい。

――個性的な役柄やナレーションも多いので、ひきとめる声は多かったと思います。

 歳を取って引退したら、その後は何もできないじゃないですか。そうしたことを話したら周りからも本当に暖かく納得していただきました。『ちびまる子』の最終収録も随分盛大にやっていただいてびっくりしました。感激しましたね。

――寂しい気持ちもありませんか?

 10年も考えましたから、それはないですね。やろうと思えばまだ出来ますが、でも結局は辞める時はまた悩むと思うのですよ。それで病気して、欠席が多くなったりすれば周りに迷惑がかかりますから。自分としてはやりきったかな。

――いまでは代表的な仕事となった『ちびまる子』ナレーターですが、決まったきっかけは原作者のさくらももこさんが「この声が欲しかった」と話されたからと聞きます。

 僕がそれを聞いたのは番組が始まってから3年ぐらいなんです。まだナレーターが決まっていなかった時に、僕の声がはいった番組宣伝のテープを当時ニューヨークに滞在していたさくらさんに送っていたんです。それを聞いたさくらさんが「この声が欲しかった」と。ご本人にも確認しましたが、「そうよっ」て。さらに最近さくらさんと親しかった友人から、さくらさんは、ナレーターを決めるにあたり「アナウンサーのように淡々と話して欲しいんだよね」と言っていたと聞きました。僕がアナウンサーは全く意識していませんでしたが、そうしたところがはまったのかもしれません。最初に聞いてなくてよかったですね。意識してしまいますから。

――『ちびまる子』ではナレーター自身の言葉も番組中にはいります。ナレーターは作品のキャラクターなのか、神の視点なのか、キートンさんはどう感じられていますか?

 僕は天の声と言っています。さくら家の天井あたりからいつも家族をそっと見ている。そういう気持ちです。視聴者の目線でもありますよね。そうした感情で突っ込んだりとかします。かなり怒って突っ込んだ時もあるけれど、後から聞いたら「これはちょっと天の声らしくなかったかな。まる子を叱り過ぎたかな」と思うこともありました。その辺の按配は自分でやるしかないです。

――30年やってきましたが、最初と較べて10年目、20年目、30年目で変化などはありましたか?

 まず原作者もスタッフも、私もこんなに続くとは思っていませんでした。アニメは長くて2年とかが普通じゃないですか。早ければ半年とか、そんな感じで始まったんですよ。そのなかで、「まだ続くんだ」、「まだ続くんだ」と31年経ちました。節目で何か変えようとか、そういった気持ちはなく、淡々とです。

――『ちびまる子』が定番になっていくと、ナレーターの声を覚えている人も増えていったと思います。周りの変化はありましたか?

 それまでもアニメファンには名前は知られていましたけれど、裏方の仕事ですから一般的に知られていませんでした。『ちびまる子』を通じて、一般世間にキートン山田という名前が知られていきましたね。

――作品のなかで思い出のエピソードはありますか?

 なんといっても1500本近くやったからね(笑)。

――放送はご覧になっていたのですか?

 観ていますよ。体調はいつも一緒じゃないし、声、喉も違うので確認もあります。自分の声ですら変化しているので、それを反省しつつです。

――31年間のなかで大きな失敗などはありましたか?

 とちったりするのはしょっちゅうですけれど(笑)。最初の頃に風邪をひいて、喉が重傷で3週間収録できなかったのが一番大きな失敗ですかね。実際にスタジオに行って収録してみたけれど声が違う。みんな聞いているし、番組としても仕事としても変な声が入ると嫌じゃないですか。監督が「いやまだ間に合うから、来週で」と、再収録しました。収録のストックがあったのでなんとか間に合いました。

ゲッターロボから一休さん将軍様まで。声優ファン誕生を経験した70年代

――これまでのキャリアで苦労されたことはありましたか?

 30代半ばぐらいですけれど、仕事が減った時期があったんですね。3年ぐらいだけれど、こちらとしたら10年ぐらいの気持ちでした。どんな仕事でもそうですけれど、仕事がなくなるのは辛いですよ。家族があって、家のローンもありましたしね。

――キートンさんは70年代にいくつもの人気アニメで活躍されて、さらに広い仕事をしているので、あまりご苦労されたイメージはないのですが。

 その当時は2、3年の間に声優の人数がすごく増えて、その入れ替わりで全然レギュラーがなくなっちゃって。週に何本もレギュラーとそれに他の仕事とあったのが、たまにしかでなくなって、それも目立たない役。また出るようになったから周りは感じはしなかったのかもしれないですね。でもたまにスタジオに行ったときには、そんな精彩のない自分が分かるんですよ。仕事が全然楽しくなかったですから。むしろ変に緊張して「とちっちゃいけない」とかそんなことばかり考えてしまいました。それがなかったら今はないから、ありがたい経験だなと思っています。

――70年代というと、声優の仕事がジャンルとしてまだ確立されてなかったと思います。その時に声優を強みにしていた青ニプロに所属された理由はあるのですか?(※その後の移籍を経て、現在は「リマックス」に所属中)

 青ニプロには預かってもらっていただけで、当時は役者を目指していました。まだテレビより映画に憧れがあったし、舞台も勢いのある時代でした。そちらの夢も追いつつ、この道に入り始めた。それが短い期間でばーっと仕事が増えて。大変だけれど、楽しさもあるし、次から次へと勉強しないといけないこともある。気が付けば、思いもよらず声優です。ナレーターになるなんて頭の片隅にもなかったです。アナウンサーはいましたけれど、声優がナレーションをすることは、当時はまだなかったですから。

――声優のお仕事は動きの演技をしない分、声で表現するところがあります。それがご自身に合っていたということはありますか?

 合ってないね(笑)。たまにドラマをやると、なんて楽だろうって思いますよ。ドラマは自分の表情じゃないですか。アニメは表情が先にあって、演技の間も絵が先です。第一条件として、まずそこに合わせなければいけない。声優に比べると役者は解放されていると思いましたね。

――70、80年代の役柄ですと『ゲッターロボ』(74-75年)の神隼人、『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76-77年)の浪花十三、『サイボーグ009』(79年ほか)のアルベルト・ハインリヒといった「クールな二枚目」が多いかったのですが。これは自身に合っていたからですか?

 それは世間様が決めたことで、僕は二枚目があまり好きでなかったんですよ。むしろ『一休さん』(75年)の将軍様(足利義満)の役が大好きだった。あとは『ドラゴンクエスト』(89年)のヤナックとかね。わからないけれど二枚目が来るんだよね。やるしかない。

――その頃から自分の個性は、二枚目とは他のところにあると思われていたのでしょうか?

 どんな仕事だって自分の思い通りにはいかないじゃないですか。本当はもっと違うことを任されたいとか、自分は向いてないと思っていることを任されたりする。ただ『ちびまる子』のナレーションは、自分でやりたかったという気持ちがありました。ぴたっと来ましたね。

――70年代にはすでに声優ファンのカルチャーがありました。

 ありましたね。『ゲッターロボ』や『サイボーグ009』でファンがついてくれたり、ファンクラブがあったし、いまの業界がやっているイベントのようなこともやり始めでした。規模は小さく、世間にはあまり知られていなかったですけれど、基礎づくりは僕らの時代です。

 キャーキャー言われながらやっていましたが、先輩から「そんなちゃらちゃらしたことやっているんじゃない」って言われましたね。サインすると「サイン練習する前に芝居を勉強しろ」って(笑)。いまは10倍とかの規模で若い人たちがイベントをやっている。もう大賛成です。

――ファンに囲まれた時のお気持ちは?

 楽しかったですね。スタジオではなく、その場で演技を見せるわけです。そこで反応を聞いたりして、初めてどう受け取られているか、分かるわけですから。

――現在とキートンさんがデビューされた頃の声優業界では、何か変わられたと感じますか?

 育っている時代が違うし、食べ物が違うし、全てが違います。ユニクロはないし、本当に全てが違うので。75歳になってそのギャップも感じるね。差が開く一方で、ついていこうとすると自分が無理をしなければいけない。

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