野村克也元監督が「背番号73」にこだわったワケ 【3・28には追悼試合】

スポーツ 野球 2021年3月19日掲載

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背番号に込めた野村氏の思い

 名将が神宮に帰ってくる――。ヤクルトが3月28日の阪神戦(神宮球場)で、2020年に亡くなった野村克也元監督(享年84)の追悼試合を開催する。当日は監督・コーチ・全選手が、野村氏が1990~98年の監督時代につけていた背番号「73」のユニフォームを着用し、試合に臨む。

 9年間の在任中、リーグ優勝4回、日本一3回という輝かしい成績を残した栄光の背番号「73」に込めた野村氏の思いは何か。生前に遺した下記の著書から紹介したい(引用は新潮社刊『野村克也の「人を動かす言葉」』より)。

〈私が縁起を担ぐタイプだと言うのは言ったよね。勝てばパンツを替えない。球場入りへの道のりは変えない……。背番号にしても、それは一緒だった。

 プロ入りして最初に付けられた背番号は、60。嫌だったね。今でも、「大きい背番号は、下手」みたいに見られる風潮があるじゃないか。しかも当時は、数字の上に選手の名前が英文字で入っていたりはしない。ただの60だ。文字通り、数字イコール選手。なおかつ、この数字は西鉄の三原脩監督がつけていたものだから、私は2軍戦で地方に行った時、観客にこう言われたことがある。「このチームでは、あいつが監督なのか?」。当時から少々の老け顔だったのかも知れないが、なんとも情けない話だよ〉

ラッキーナンバーは「10」

 南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団3年目、正捕手になった野村氏は「19」を背負い、以後、数々の記録を打ち立て、選手兼任監督としてリーグ優勝も果たしたのはご存知の通り。ということは「19」こそが、野村氏にとって縁起のいい数字なのだろうか?

〈さて、私は現役時代、ある占い師にこう言われたことがある。

「野村さんのラッキーナンバーは、10ですよ」

「だったら、背番号も、10にした方がいいですか?」

「いえ、足して10になる数字も含みますから、今の19は良い数字です」

 なるほどと思ったね。だから、ヤクルト監督時代の背番号は、「73」にしたんだ。

 しかし、それ以降は風向きが変わったかも知れんな。1999年の阪神の監督になる時は、「82」にしたんだよ。「73」は、もうヤクルトで運を使い果たした感じがしてな。結果はまあ、ご存知の通り。そこで、2006年より楽天の監督になる際は、思い切って背番号を戻したんだ。「19」にね〉

“私は日本一の幸せものです”

 その年、高校生ドラフト1位で楽天に入団したのが、21年シーズンから復帰する田中将大である。最後に、ヤクルト監督時代に野村氏が語った言葉の中から、21年シーズンを迎えるスワローズスタッフ・選手たちの心に響くであろう語録でしめくくりたい。

〈「私は日本一の幸せものです。ついてました」

「連覇して、改めて思う。『勝つは易し。守るは難し』と」

「戦前の予想が低く、謙虚にスタートしたことが開幕ダッシュに繋がった。還暦の年にいいお祝いをしてもらった」

「優勝は、強い弱いで決まるものじゃないということをしみじみ感じた」……

 過去4回のヤクルト時代の優勝時に残した、私のコメントだ(1992、93、95、97年)。

 日本一になった時のそれらも、紐解いてみようか。

「来年は、ただ打って投げるから、さらにレベルアップした真の野球にチャレンジして日本一を守りたい」(1993年)

「勇将の下に弱卒無しという言葉があるが、それをモットーに、自分がひるんではいけないと前向きに行った」(1995年)

「常に日本一を想定して練習をしてきた。選手たちもこれに満足せず、さらに精進を重ね、ヤクルトの黄金時代を作って行きたい」(1997年)〉

デイリー新潮編集部