「ドナルド・キーン」養子が明かす父の素顔 「太宰と自分は似ているところがある」

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 1956年は、日本文学の米国での翻訳出版が相次いだ年でもあった。三島由紀夫の『潮騒』、野間宏の『真空地帯』に吉川英治の『新・平家物語』、そして太宰治の『斜陽』。敗戦から10年あまり、我が国は欧米からどのように見られていたのか。『斜陽』を訳した故ドナルド・キーン氏の抱いた思いを、息子のキーン・誠己(せいき)氏(70)が明かす。

(「週刊新潮」創刊65周年企画「65年目の証言者」より)

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 一昨年2月に没したキーン氏は生涯独身で、2012年3月には、浄瑠璃三味線奏者の誠己氏を養子に迎えている。

「父は45年の4月、米軍で日本語の通訳官を務めるため沖縄を訪れたことなどはあります。ですが、研究者としての初来日は53年8月でした。京大大学院に留学したのです」

 誠己氏はそう振り返り、

「その頃、たとえば大佛次郎の『帰郷』など、日本文学の翻訳本はいくつかありましたが、やはり56年が翻訳ラッシュだったといえるでしょう。戦争を戦い、敗戦して復興を遂げつつある国。父だけでなく、そんな日本に対して興味を抱き、『世界に日本文化を広めたい』という熱意を持った人々によって翻訳がなされ、受け入れられていったのでしょう」

『斜陽』を手掛ける前、キーン氏は55年に『日本文学選集・古典編』を編み、その中には「方丈記」「おくのほそ道」などが収録されている。また翌年に刊行された続編にあたる『現代日本文学選集』には坪内逍遥の「小説神髄」や石川啄木の「ローマ字日記」も収録されている。もっとも誠己氏によれば、

「これらの選集は米国の出版社『グローブプレス』から刊行されたのですが、版元からは当初“日本文学なんて売れるわけがない”と言われていたそうです。ところが、2冊ともすぐ増刷がかかりました。これらは今でも米国の大学で、日本語を学ぶ学生の“入門書”となっていると聞きます。古事記や万葉集から現代小説まで手掛けていた父は、常々『私は日本文学の“伝道師”でありたい』と口にしていました」

 というのだ。

「太宰と似ている」と

 そして、没落貴族の家庭を題材に取り、新旧の価値観の相克を描いた『斜陽』に関しては、

「父は晩年まで、『斜陽』と『徒然草』は、自分の中で最も出来のよい翻訳だと喜んでいました。とりわけ『斜陽』については“こんなに訳しやすい本はなく、仕事中は楽しかった。他の作品と違って悩むことなく英語がスラスラ出てくるのだから、まるで太宰と一体化できたかのようだった”と話していたのです」

 その理由については、

「“なぜだか分からないが、太宰と自分はどこか深い部分で似ているところがあるのだろう”とも言っていました」

 翻訳版が出版された当時、56年11月12日号の本誌(「週刊新潮」)では、米国の週刊誌による『斜陽』の批評を紹介しており、そこには、

〈「これは、没落しつつある貴族階級出身の一人の娘が、平民出身の愛人によって子供を得て、ほろび行く世界に、ある目的を達成せんとする物語りである。これこそまさに、(D・H・ローレンスの)『チャタレイ夫人の恋人』の世界ではないか?」というわけだ〉

 などと記されている。さらには、

〈同誌(注・米国週刊誌)は、太宰はローレンスよりもはるかに真摯(しんし)で芸術的天分に恵まれており、両作品をくらべてみると、「どちらが翻訳だか分らなくなるくらいだ」とさえ激賞し、「日本の小説は、その性格があまりに日本的であるために、一般には理解されにくいが、この日本の小説だけは見事、この文化的な壁を打ち破って、国際的性格を示している」とさえ言っている〉

 とあるのだ。ふたたび誠己氏が言う。

「父は『人間失格』も翻訳しましたが、太宰作品はとにかく構成が素晴らしく、幅広く受け入れられる普遍的なテーマを持っていると絶賛していました。だから今も読み継がれているのだ、と。内容は暗いけれど語り口は軽快で、読者はどんどん引き込まれていく。何といっても太宰の魅力とは、悲劇の限界を超してしまいながらも、そこにちょっとしたおかしみ、ユーモアが感じられるところであると、繰り返し口にしていましたね」

“眼光紙背の達人”のおかげで、日本文学は世界中に周知されたのである。

週刊新潮 2021年3月4日号掲載

特別記念ワイド「65年目の証言者」最終回 より

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