「高校生クイズ選手権」、40回目にして最低視聴率を記録、コロナだけじゃない原因は?

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高校生クイズの変遷

「高校生クイズ」は福留アナの司会でスタートしたが、彼が担当したのは第10回(90年)までで、「ウルトラクイズ」の司会もこの年が最後だった。どちらも福澤朗アナに引き継がれた。

「『ウルトラクイズ』は83年(第7回)に34・5%を記録しましたが、これをピークに数字を落としていきます。91年から福澤アナになりましたが、翌92年を最後にレギュラー開催は打ち切られました。つまり、この時点で、“知力・体力・時の運”は終わっていたわけですが、『高校生クイズ』だけは紆余曲折ありながら続けられてきました」

 90年代は、バラエティの要素が増えたという。

「海外ロケを取り入れ、『電波少年』をマネて高校生の人間性をクローズアップしたり、芸能人が関わることを増やしたりもしましたが、視聴率低下が続き、07年には8・6%にまで落ちました。そこで打ち出されたのが08年(第28回)からの問題の超難問化です。演出には『マジカル頭脳パワー』の五味一男さんが入り、“知力の甲子園”と銘打ち、難問の頂上決戦として趣向がガラリと変わったのです」

 結果はすぐに出たという。

「09年(第29回)には17・7%を取り、見事に復活。この年の優勝は、奈良の名門、東大寺学園でした。翌年から開成高校が連覇。このチームにいたのが、後の『東大王』(TBS)の伊沢拓司です。ほかにも水上颯らのスターを生み出しました。この頃、難問化した『高校生クイズ』に対して、本格的なクイズ番組を歓迎する声がある一方、進学校ばかりが出場し、問題が難しすぎて視聴者が一緒に楽しめないという声も上がりました。その世間の声を気にして、13年(第33回)から再び『高校生クイズ』は、“知力・体力・チームワーク”に戻りました」

“知力の甲子園”は“青春ドキュメント”と様変わりし、視聴率は再び下降線を辿りだした。

「視聴者は今や青春ドキュメントを見たいというわけじゃないのでしょう。一方で、進学した伊沢や水上らを起用した『東大王』は、ご存知のように人気番組となっています。結局、知力の頂上対決のほうが数字は取れるわけです。今回の『高校生クイズ』はコロナ禍という不運があったにせよ、来年はまた“知力の甲子園”に戻るかもしれませんよ」

週刊新潮WEB取材班

2020年12月23日掲載

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