世界で勝てるグローバル・メドテック企業へ――竹内康雄(オリンパス取締役 代表執行役社長兼CEO)

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なぜ日本の内視鏡は強いのか

佐藤 胃カメラはオリンパスによって開発・実用化され、日本発の技術として世界に広まりました。そこにはどんな経緯があったのでしょうか。

竹内 少し弊社の歴史をお話ししますと、最初の事業は顕微鏡です。学校にある一般向けの顕微鏡から、ノーベル賞を取るような研究者が使う最先端のものまで、幅広く手掛けてきましたが、その第1号が誕生したのは1920年のことでした。

佐藤 会社の創立は何年ですか。

竹内 その前年の1919年です。

佐藤 第1次世界大戦が終わった直後ですね。

竹内 外国製顕微鏡が主流であった当時、創業者の山下長(たけし)が「外国製顕微鏡に劣らない国産顕微鏡を作りたい」との思いで、開発を始めました。

佐藤 日本の光学研究の幕開けですね。

竹内 山下はもともと、明治から大正期に活躍した政治家・松方正義の息子が経営する会社にいました。その後援を受けて、オリンパスの前身となる会社を興し、顕微鏡作りを始めます。

佐藤 顕微鏡は科学の基礎になるツールですから。

竹内 顕微鏡の16年後には二眼レフのカメラが、30年後には胃カメラが誕生します。その過程を見ると、すべての事業に、それを必要としている明確なユーザーがいて、我々が持つ光学、精密加工の技術でその要望にお応えしてきたことがわかります。弊社はそうした精神で101年やってきました。

佐藤 一本、筋が通っている。

竹内 内視鏡は1949年に、東京大学医学部附属病院・小石川分院外科の宇治達郎医師から「日本は胃がんの死亡者が多い。これをなんとかしたい」と相談を持ちかけられ、胃の中を見ることができないか、というニーズからスタートしました。

佐藤 資料を見ましたが、初期のものは太いですね。

竹内 最初は「ガストロ(胃の)カメラ」と言う通り、写真機ですね。1950年に誕生しますが、これではリアルタイムで胃の中を診ることができません。その後、1964年にファイバーバンドル(光ファイバーの束)を使った内視鏡(ファイバースコープ)が生まれ、ライブビューが可能になります。そしていまは、ご存知のように電子化されている。

佐藤 医療機器は毎年のように進化している印象です。

竹内 医療機器は医療現場で医師が使うものですから、私たちだけで開発を進めていくことはできません。内視鏡も、医師とともに二人三脚で作ってきました。

佐藤 医者にもいろんなタイプの方がいますから大変でしょう。

竹内 この分野は自分が初めて切り拓き世界に広めるんだ、という強い意欲を持っている医師がたくさんいらっしゃいます。そういう方々とお付き合いをしながら、機器を開発し、ソリューションを提供して、実用化した後は、改良のニーズに応えながらずっとサポートをしてきました。また、内視鏡は機械ですから、必ず壊れます。それに対して常にタイムリーに対応していくことが重要です。さらに医師が医師に行うトレーニングをしっかりとサポートする。これらの取り組みで培われた信頼感は、そう簡単には揺るぎません。そこが世界で7割のシェアを占めている理由だと思います。

佐藤 内視鏡はさらに進化を遂げて、検査しながら、その場で手術もできるようになりました。

竹内 胃の中を見ても、最初は明らかな異状以外は、よくわからなかったと思います。それが数多くのデータ、知見を積み重ねることによって、これは良性の腫瘍であるとか、早期のがんであるとか、少しずつわかってくる。そこから、単なる診断を超え処置ができるようになってきました。

佐藤 そこに見えているのですから、医者としては当然、何かしたくなるでしょうね。

竹内 具体的にこういう器具が欲しい、こんな装置はできないか、と要望が寄せられます。ファイバースコープの先端には、レンズや照明、水や空気を入れるノズルとともに処置具を入れるチャンネルがあり、そこを通す処置具でポリープを焼き切ったり、細胞を採取して病理検査に回したりできるようになりました。その後は、内視鏡の進化というより、医師の手技がどんどん進化していったということかと思います。

これからの内視鏡

佐藤 私もオリンパスの内視鏡のお世話になっていまして、胃も大腸も定期的に診てもらっています。特に大腸はポリープができることがあるので、その場で取ってもらいます。ただ、大腸の内視鏡は、前日から下剤を飲んで、腸の中をきれいにするのがたいへんです。

竹内 そうですね。しかも大腸は肛門から入れますから、どうしても抵抗感が強くなる。だから胃に比べると受診率は高くありません。ただ早期診断されれば、大腸がんの死亡リスクが減らせることがわかっています。

佐藤 最初は大学病院で検査していましたが、そこで内視鏡に特化して独立したクリニックのほうが異状を見つける力がはるかに高いと教えられて、そうした病院に替えました。やはり内視鏡は職人芸の世界になってくるんですよね。鎮痛剤の量なども少ないと痛いし、多すぎると――。

竹内 あとがダルいですよね。ただ、もし開腹手術となったら社会復帰するまでに平均2週間以上の時間がかかります。それが、内視鏡の治療手技なら、早ければ翌日から普通に生活できる。できるだけ患者の方に低侵襲で、社会復帰を早くさせる、それが私たちの使命です。

佐藤 内視鏡は確立された技術ですが、技術という観点からすると、誰も想定しないようなテクノロジーが出てくることもありますね。

竹内 それは十分あり得る、いや、確実に起こると思います。技術の進化は永遠に続きます。

佐藤 イスラエルなどでは、小腸を診るためにカメラの入ったカプセルを飲まされることがあります。

竹内 カプセル内視鏡は弊社でも提供しています。やはり診断にしても治療にしても、痛みや不快感をどれだけ取り除くかが課題です。内視鏡は体に固形の異物を入れるわけですから、患者の方にとってカンフォタブル(快適)なものではない。

佐藤 内視鏡においては、リユースからシングルユース(1回使用)へという流れもあるそうですね。

竹内 医療機器として安全性と有効性を高めるよう改良を重ねていますが、リユースでは感染のリスクが全く無いとは言えません。

佐藤 このコロナ禍の中で、感染ということに世界中の人が敏感になっています。

竹内 まだまだ性能の面でも経済的な面でもリユースのほうが勝っています。内視鏡の機種によって異なりますが、一つの症例についてリユースなら50~100ドルくらい、シングルユースだと400ドル掛かります。従ってリユースがメインであることは間違いない。

佐藤 4倍の開きは大きい。

竹内 ただ症例によっては、性能や経済性よりむしろ緊急性や感染リスク対応にプライオリティが置かれることがあります。そこがシングルユースのターゲットとしているところです。

佐藤 注射器も初めはリユースで、やがて針だけを替えるようになり、いまは注射器全体がシングルユースになってきました。そうした例がありますから、長期的にはシングルユースが主流になるのかもしれない。

竹内 その可能性はあると思います。

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