「任命拒否」で揺れる「日本学術会議」の存在意義 医療崩壊(43)

国際 Foresight 2020年11月9日掲載

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 日本学術会議が世間の注目を集めている。現在召集されている臨時国会でも、菅義偉首相が任命拒否問題で野党から追及を受けている。

 本稿では、同問題の背景について、私なりの分析をご紹介したい。

占領体制の「申し子」

 まずは、日本学術会議の概要だ。

 同会議は、日本に87万人いるとされる研究者の最高組織で、定員210人の会員と約2000人の連携会員から構成される。現在の会長は、2015年にニュートリノが質量をもつことを示すニュートリノ振動の発見でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学卓越教授だ。

 同会議は、人文・社会科学、生命科学、理学・工学の3部会から構成され、会員の任期は6年だ。3年毎に半数が改選され、再任は認められない。内閣総理大臣が所轄する。

 同会議の目的は、

「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」

 であり、

「日本の学者を代表する機関で学界における国会のような存在」(元会員)

 と考える研究者も少なくない。

 では、この組織は、どのような経緯で誕生したのだろうか。組織の真の姿を理解するには、その歴史を知るのがいい。

 実は、日本学術会議の歴史は浅い。設立は戦後の1949年だ。それまで日本の学界を代表したのは、1879年に設立された東京学士会院だ。初代会長は福沢諭吉で、西周や加藤弘之など21人が名を連ねた。その後、帝国学士院を経て、現在の日本学士院に連なる。世界のアカデミーの連合である国際学士院連合に日本代表として参加するのは、この日本学士院だ。日本学術会議ではない。

 なぜ、日本学術会議が誕生したのか。それには、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による戦後処理が関わっている。戦争遂行体制の一翼を担った帝国学士院を廃し、新しい組織を作ろうとしたのだ。

 1948年にはGHQの指示で日本学術会議法が成立し、一定の資格を有する学者全員による直接選挙で会員を選出した。GHQが主導した民主化政策が反映されたことになる。軍部や右翼が介入した苦々しい記憶が残る学界は、日本学術会議の発足に大きな期待を寄せた。

 実は、GHQが日本学術会議の設立を急いだ理由は、これだけではない。1946年に左派主導で「民主主義科学者協会」が発足していたからだ。当時、共産主義との対立が表面化していた学界の左傾化を避けることは、GHQにとって大きな課題だった。

 このように日本学術会議は、学者主導ではなく、敗戦後の占領体制の「申し子」として生まれた。

 その後、直接選挙によって左派系学者の加入が増え、GHQの期待した方向に発展しなかったのは皮肉だ。2019年10~11月に開催された「日本学術会議創立70周年記念展示」では、「日本学術会議の活動の一端」として4つの事業が紹介されているが、このうち2つは「初期の原子力開発」「沖縄の研究者との学術交流」である。前者は「核兵器の廃止」、後者は「本土から切り離されて米国の統治下にあった」ことを強調している。

「勧告」なしで「提言」のみ

 日本学術会議の設置目的は、前述したように、「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」(日本学術会議法第2条)だ。そのため、科学の振興や科学を行政に反映させる方策について、「政府に勧告することができる」(同第5条)。

 日本学術会議の存在意義は、この「勧告」にあると言っても過言ではない。「勧告」は法に基づく行為で、政府は尊重しなければならないからだ。

 設立当時、日本学術会議は活発に活動した。1949~51年の第1期には70以上の「勧告」、「申し入れ」などを行っている。政府も同会議を活用した。第1期には22件の諮問を行っている。「勧告」同様、「諮問」も法に基づく行為であり、その影響力は大きい。

 ところが、現在、このような活動はほぼなくなった。「勧告」は2010年以降、1度もなされていない。政府も1962年以降は、法的に義務付けられている「諮問」を、毎年同じ内容で1件行っているだけだ。

 現在、日本学術会議が発しているものは「提言」だ。同会議のホームページには大量の「提言」が紹介されている。2020年度は9月末日現在、68の「提言」がなされている。「提言」は法的根拠がない行為であり、行政は対応する義務がない。

 日本学術会議は、なぜ、「勧告」せずに、「提言」ばかりするのか。情報誌『選択』11月号は『【日本のサンクチュアリ】日本学術会議 令和版「レッドパージ」の真の狙い』という記事を掲載し、その中で政府関係者のコメントとして、

『予算などで応じられない場合、日本学術会議の権威に傷がつきかねないため、曖昧な「提言」で馴れ合っている』

 と紹介している。この記事によれば、日本学術会議の事務局には各省から官僚が出向しており、このあたりを差配している。現在、事務局長をはじめ、7名が出向官僚のようだ。

 話を戦後に戻そう。では、どうして、日本学術会議は失速したのだろうか。それは、政府が再整備され、各省庁が独自の政策立案体制を再構築していったからだ。専門家の意見は審議会を介して、集約されることとなった。

 さらに2001年には、それまで総理府に属し、省庁間の調整を担っていた科学技術会議が内閣府に移管され、総合科学技術会議として、政府全体の科学技術政策に影響力を行使できるようになったため、益々、その存在感は薄れていった。『選択』は、この頃から「学者サロンとしての色彩を強めていった」と評している。

「東京大学」と「ノーベル賞」

 では、その実態はどうなのだろうか。筆者の周囲には人文・社会科学、生命科学、理学・工学の何れの分野にも、会員あるいは連携会員が存在する。何人かにインタビューしてみた。

 彼らが口を揃えるのは、「声の大きい連中が仕切る」ことだ。人間社会だから、「声の大きい連中が仕切る」のは日本学術会議に限った話ではない。問題は、どんな人たちの声が大きいかだ。

 知人の元会員は、

「人文・社会科学、生命科学、理学・工学のうちでは、断トツで理学・工学系の声が大きい」

 という。彼によれば、キーワードは「東京大学」と「ノーベル賞受賞者」らしい。

 菅義偉首相は、「出身や大学に偏りが見られる。多様性が大事だ」という主張を繰り返し、政府は会員のうち、45%が旧7帝大の職員であると説明している。

 実態について、私が理事長を務める特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」の山下えりか研究員が現在の204人の会員の経歴を調べたところ、73人が東京大学教授か東京大学出身者だった。幹部になると、その比率は更に増す。歴代19人の会長のうち、東京大学出身か教授経験者でないのは、朝永振一郎と塚田裕三だけだ。

 このことは会員なら誰でも感じているようで、関西の大学出身の元会員は、

「東京大学出身者が仕切り、我々が口を出す余地はなかった」

 という。

 もう1つの「ノーベル賞」とは何だろう。それは、日本の科学界でノーベル賞受賞者は圧倒的なプレゼンスを有するということだ。

 日本人(受賞時に日本国籍を有する)でノーベル賞を受賞したのは25人だ。文学賞の川端康成、大江健三郞、平和賞の佐藤栄作を除く22人が、理系の賞を受賞している。

 この数は欧米先進国とは比べものにならないくらい少ない。米国科学アカデミーは約2400人の会員と約500人の国際会員で構成されるが、このうち約190人がノーベル賞受賞者だ。英国王立協会は約1700人の会員のうち、75人が受賞者である。日本人で2000年以降に理系のノーベル賞を受賞したのは、わずかに17人だ。ノーベル賞の希少価値が全く違う。それだけに、日本ではノーベル賞受賞者の発言力影響力が大きい。現在の日本学術会議の会長の梶田教授はノーベル賞受賞者だし、本庶佑氏、山中伸弥氏などの影響力は絶大だ。

 この17人の内訳は、6人が物理賞、7人が化学賞、残る4人が生理学・医学賞だ。しかし、この中で東京大学関係者は小柴昌俊氏、梶田隆章氏、根岸英一氏、大隅良典氏の4名しかいない。

 さらに、根岸氏は東京大学工学部を卒業しているが、研究のキャリアは「帝人」、米国で積み重ねた。大隅氏は、1967年に東京大学教養学部を卒業後、助手、講師を経て、教養学部の助教授に就任。その後、1996年に岡崎国立共同研究機構が設置する基礎生物学研究所の教授に転身する。この2人は東京大学の研究者というわけではない。

吠えない番犬

 では、東京大学×ノーベル賞受賞者というキーワードは何を示しているのだろうか。

 それはたとえば、小柴・梶田氏の師弟コンビだ。

 彼らはニュートリノの研究が評価されるのだが、そのためには、観測装置であるカミオカンデやスーパーカミオカンデという巨大インフラが必要であった。これは文部科学省と距離が近く、巨額の予算が付きやすい東京大学でなければ、遂行できない。山中教授のiPS細胞や本庶教授のがん免疫の研究がアイデア勝負であることとは対照的だ。

 東京大学・ノーベル賞の両方を兼ね備えるのが、カミオカンデに代表される物理の研究者たちだ。知人の工学部の教授は、

「学術会議は実験物理のやり方が雛形になっている」

 という。

 この領域の特徴は、研究に金がかかることだ。ある国立研究機関に所属する研究者は、

「加速器や中性子を研究する学会など大型装置を必要とする分野では、日本学術会議が作る『マスタープラン』に採用されないと生きていけません」

 という。

 このような分野の研究者にとっては、日本学術会議での影響力を維持することが喫緊の課題となる。これが2005年以降、会員・連携会員が新規会員・連携会員を推薦するように制度が変更され、今回、「日本学術会議の権益が私物化されている」と批判された理由の1つだろう。

 このことは、予算の分配以外にも弊害をもたらす。たとえば、情報工学などの新規研究分野への投資が伸びないのだ。情報工学を専攻する教授は、

「会員には権威主義的な人が多く、この分野の知識にも乏しい。期待していない」

 という。

 このように学術会議は、物理の独走体制となっているのだが、これは、他の分野が低迷していることの表れでもある。東京大学をみても、法学部と医学部は低迷している。

 ちなみに、日本学術会議の会長を務めた東大医学部関係者は、黒川清氏が2003年7月から2006年9月まで、その後、金澤一郎氏が2011年6月まで務めただけだ。前出の『選択』の記事には、2人とも「学者としての実績より、政治力で知られている」という元会員の言葉が引用されている。

 黒川氏は、成蹊高校の後輩である安倍晋三前首相の依頼を受け、第1次安倍政権で内閣特別顧問、第2次安倍政権で内閣官房健康・医療戦略室の参与を務めているし、金澤氏は、東京大学を退官後、宮内庁皇室医務主管に就いている。

 日本学術会議が臨床医を会長に置いたのは、この時だけだ。凋落を続ける日本学術会議を再興するため、彼らの政治力に頼ったのだろう。もちろん、こんなことではどうにもならない。「勧告」しない日本学術会議は、吠えない番犬のような存在だ。

ポピュリズムを煽るな

 では、どうすればいいのだろうか。

 欧米先進国の事例は参考になる。欧米と日本のアカデミーの最大の違いは、欧米のアカデミーは大半が非政府組織であることだ。しかしながら、その存在は法律で規定されていて、制度・財源とも独自性を担保する仕組みが構築されている。政治体制が変わっても、学界は独自性を維持できる。運営を完全に国費に依存し、人事権にまで政府が介入する日本とは対照的だ。

 菅首相の、

「憲法15条で規定されている通り、公務員の選定は国民固有の権利であり、任命権者である首相としての責任を果たしていく」

 や、甘利明自民党税制調査会長の、

「学術会議の会員の身分が特別職国家公務員である以上、公に奉仕するのが前提になる。全くの私人になりたかったら政府の補助から独立し、自力で運営すべきだ」

 などの発言は、欧米先進国では常軌を逸したものと受け取られている。

 英科学誌『ネイチャー』は、10月6日付の社説で、ブラジルのジャイール・ボルソナロ大統領やドナルド・トランプ米大統領の所業と同列に、菅首相の対応を紹介しているし、米科学誌『サイエンス』は10月5日、「日本の新首相、学術会議との戦いを選ぶ」との見出しの記事を掲載している。両誌の国際的影響力を考えれば、日本が被ったダメージは計り知れない。

 もちろん菅首相にも、彼なりの計算はあっただろう。近年稀な地方議員からの叩き上げで総理大臣まで上り詰めた立志伝中の人物だ。

 今回の日本学術会議への対応を、『朝日新聞』などリベラル系メディアは、

「安全保障法制化に反対した学者に対する意趣返し」

 などと批判するが、学界という国民とは遠い世界の話で、国民の関心は高くない。支持率の低下も許容範囲内である。官僚から国会議員を務めた人物は、

「日本学術会議問題が臨時国会の論争の中心になるなら、新型コロナウイルス対策の失敗など、国民にとって重要性が高く、自民党政権の失敗を追及される問題の議論を回避することができる。菅政権にとっては、こちらの方がダメージは少ない」

 と分析する。菅政権がこれを意図してやったとしたら、見事としか言いようがない。

 ただ、これでいいのだろうか。今のまま突き進めば、菅首相にはよくても、国民は大きな損失を被りかねない。

 科学と政治の関係は、世界が常に頭を悩ませてきた重要な問題だ。国会対策と同列に議論する問題でなく、ポピュリズムを煽ってはならない。戦前の「滝川事件」や「天皇機関説事件」が日本を亡国の淵に追いやったことを、今こそ思い出すべきだ。

 資源に乏しく、少子高齢化が進む我が国が繁栄を維持するためには、科学技術の発展が不可欠だ。菅首相の任命拒否事件を契機に、学術会議のあり方を検討するというのなら、長期的視野に立った冷静な議論が必要である。

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。