学生の「読書時間ゼロ」50%で日本は終わる!

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“読書の秋”とはいうものの、若者の読書時間は年々減る一方。読解力が低下して、大学の授業も理解できない学生が増えている。でも、その対策が「せめて広報文や契約書ぐらいは読めるようにする」では、何ともお寒い限り。これでこの国の将来は大丈夫なのか。

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 若い世代の読書離れが急速に進行しているようだ。全国大学生活協同組合連合会が毎年全国の国公私立30大学の学生を対象に実施している学生生活実態調査の結果をみても、読書しない学生の比率がこのところ急激に高まっている。 

  1日の読書時間が0という学生の比率は、2012年までは30%台半ばを推移していたが、2013年以降高まり続け、ついに2017年に53・1%と過半数に達した。最新のデータを見ても2019年は48・1%であり、やはり半数ほどの学生が読書時間0となっている。

 しかも、この数字は電子書籍を含むものであり、読書に「コミックス、趣味・情報雑誌、漫画雑誌、教科書・参考書」が入ると考えている学生が53・4%もいるのである。インターネット閲覧は回答には用意されていないが、それさえ読書と考えている学生もいたかもしれない。そうなるといわゆる“書籍”を読んでいる学生は4人に1人、あるいはそれよりも少ない可能性がある。

 もちろん今でも読書に熱心な学生もおり、1日平均2時間以上という学生が7・8%、1時間以上2時間未満という学生が19・0%となっており、26・8%の学生が1日1時間以上の読書時間を保っている。

 つまり、毎日1時間以上読書している学生が4分の1ほどいるものの、読書はまったくしないという学生が半数ほどいることになる。ここにもよく言われる二極化がみられる。だが、読書しない学生がここ10年くらいの間に急激に増えているということは言えそうだ。

 べつに本など読まなくてもいいじゃないかと思われるかもしれない。でも、私たちは言葉でものを考えるわけだから、言葉を自分の中に取り込むきっかけとなる読書をしないのは、思考力を身につけるという点において大きなハンディとなる。言語能力は知能の発達と大いに関係しているが、脳科学の研究データからも、読書習慣は神経繊維の発達や言語性知能の向上と関係していることが示されている。

 そんな話を授業中にすると、刺激を受けた大学の学生たちが、「どうしたら本を読めるようになりますか」「本を読んだことがないんですけど、まず最初はどんな本を読んだらいいですか」などと相談に来る。深刻な読書離れはそこまで進行しているのである。

 私の研究領域では従来当たり前のように行っていた、心理検査やアンケート調査ができない学生が増えていることが、多くの大学の教員の間でよく話題にのぼる。質問文の意味がわからないのだ。私自身、そのような質問をされて驚くことがある。たとえば、「内向的って何ですか?」「事なかれ主義ってどういう意味ですか?」「引っ込み思案って、どういう意味ですか?」などといった質問が出る。少し前なら学生たちがふつうに使っていた言葉が通じなくなっている。学生たちと話すと、「そんな言葉、友だちと話すときもラインでも使わないから」などと言う。日常会話やSNSで使わない言葉や概念は知らないというわけだ。

 本を読まず、言葉を知らないということになると、文章の読解ばかりでなく、人の話の理解もできなくなる。SNSで単純な言葉のやりとりをするばかりで、本に書かれていることを理解すべく深く読み解こうとする習慣が欠けると、言葉の読解力が鍛えられない。その結果、相手の言うことの真意をつかみ損ねるコミュニケーションギャップが生じ、お互いにイライラする。それがトラブルを生じさせることも少なくない。

 言葉が乏しいと、頭の中の思考も深まらない。先述したように私たちは言葉でものを考える。言葉を豊かにもつことにより、読解力が高まるだけでなく、思考も深まる。自分の中のモヤモヤを頭の中で言語化することの大切さを話した授業の後、ある学生が私の元にやって来た。「授業を聞いて、僕は言葉をもたないから自分の中のモヤモヤを整理できなくて、すぐにイライラして、モノを壊したり人に当たったりするんだと思いました」と言って、読書指導を求めてきた。カウンセリングでも言葉の力を痛感することが多かったが、日常生活で気づきを得たり思考を深めたりする際も言葉の力が必要となる。

授業を理解できない

 このように文章を理解するにも、人の話を理解するにも、自分の心の中を整理するにも、読解力が必要であり、そのためにも読書経験が重要となる。

 読解力の低下に関しては、国立情報学研究所の新井紀子氏により、中学生の約2割が教科書の文章の主語と目的語が何かという基礎的な読解ができず、約5割は教科書の内容を読み取れていないといった調査結果が公表され、衝撃が走ったのが2016年のことであった。高校生を対象とした調査でも、基礎的な読解力の欠けている者が3割程度みられた。日本語をしゃべっているのだから日本語の読解など当然できるはずと思っていたら、じつはそうではなかったのだ。

 私の授業でも、教室の前の方で熱心に聴講し、必死にノートを取っている学生が、なぜか試験ができず、レポートでもやや的外れなことを書いていたりすることがある。熱心に聴講している学生が授業内容を理解していないとなると、それはかなり深刻な事態が進行していることを懸念せざるを得ない。

 まじめに授業に集中している学生が、「何が大事かわからないので、大事なことは字を大きくしたり、色を変えたりしてくれませんか」「影響関係がわからなくなっちゃうから、矢印で結んでもらえますか」などと言ってくることもある。

 どういうことか聞いてみると、パワーポイントを使う授業では、大事なことは字が大きく、色も変えてあるから、何が大事かわかる、影響関係も矢印で結んであるからわかるというのだ。つまり、話を聞きながら、何が重要かを自分の頭で考えることができず、説明を聞いても影響関係をつかむことができないのだ。懇切丁寧に図解する授業に慣れすぎて、思考停止に陥っている。もちろん、このような学生が目立つようになったということであって、今でも本をよく読み、読解力もあり、授業内容をしっかりと理解し、自分の頭でものを考えている学生もいるのは言うまでもない。

 いずれにしても、中学・高校でも、大学でも、日本語で行われている授業を理解できずにいる学生が少なくない、そこまで読解力の低下は深刻さを増しているのではないかということである。

 このような読解力の低下は、授業の理解を妨げるのみならず、社会生活で必要な実務的な文書の理解をも妨げる。自己分析や各種心理検査の作成も私の専門であるため、自己分析のきっかけづくりとして心理検査をやらせることがある。かつては回答後に各自が採点の手引を読んで採点していたが、最近は手引を読んでもわからないようで、採点の仕方を質問したり、見当外れな採点をしたりする学生たちが必ずいる。このように、かつては当たり前のように理解されていた平易な実用文さえ、その意味を読み取ることができない学生が増えてきているという現実がある。

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